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穂波家(ほなみけ)は、藤原北家勧修寺流のうち勧修寺家の庶流の堂上家、家格は、名家。 権大納言・勧修寺経広の次男である権中納言・穂波経尚が、はじめ海住山(海住山寺に由来する)を称したが、寛文年間に、穂波と改称したのにはじまる。 穂波とは、歌に詠まれる伏見の田園に由来すると言われるが定かでない。 初代・権中納言・穂波経尚以降、江戸時代の石高は、蔵米30石であったが、11代・穂波経度は、戊辰戦争の時、錦旗奉行・大総督府参謀を拝命、明治2年(1869年)、その勲功により賞典禄100石を下賜された。のちに元老院議官を務め、子の穂波経藤は華族に列し子爵に叙せられた。明治38年(1905年)6月、爵位を返上する。 家紋は、勧修寺家に倣い「竹に雀」。菩提所は、立本寺享保院。居所は、蛤御門之外とした。 ==歴代当主== # 穂波経尚 (1646 - 1706) # 穂波晴宣 (1697 - 1768) # 穂波経古 (1733 - 1741) # 穂波尚明 (1729 - 1776) # 穂波尚孝 (1757 - 1777) # 穂波経条 (1774 - 1836) # 穂波経誠 (1798 - ) # 穂波経訓 (1802 - 1820) # 穂波経武 (1818 - 1823) # 穂波経治 (1824 - 1842) # 穂波経度 (1837 ー 1915) # 穂波経藤 (1861 ー 1931) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「穂波家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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