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穂積氏(ほづみうじ/ほつみうじ)は、「穂積」を氏(ウジ)の名とする氏族。姓(かばね)は始め穂積臣、後に穂積朝臣。 大和国山辺郡穂積邑および十市郡保津邑を本拠地とした有力な豪族で、神武天皇よりも前に大和入りをした饒速日命が祖先と伝わる神別氏族。物部氏族の正統とされ〔宝賀寿男編著『古代氏族系譜集成中巻』1214p〕、熊野国造家や末羅国造家とは同祖とされる。子孫の一部は「鈴木」を称し、藤白鈴木氏として続いた。 == 出自 == 穂積氏は、饒速日命の後裔で『日本書紀』に記される大水口宿禰を遠祖とする。大水口宿禰の子と伝わる建忍山垂根は『古事記』に穂積氏祖と記され、娘の弟橘媛は日本武尊の妃となった。また、『日本書紀』に記される穂積忍山宿禰も建忍山垂根と同一人物とされ、娘の弟財郎女は成務天皇の妃となり和謌奴気王を生んだとされる。 建忍山垂根の子・大木別垂根の子である穂積真津の代に穂積姓を賜ったという伝承を持ち、姓は臣であった。天武13年(684年)11月には、八色の姓制定に伴い52氏のひとつとして穂積朝臣姓を賜った。 「穂積(穂は「火」の意味とも)」の氏は、出雲積、鰐積(和珥氏の原始的姓氏)、津積(尾張氏の原始的姓氏)、阿曇(阿曇氏)などの例から見て原始的姓氏であり、物部氏ももとは穂積氏で本宗は穂積臣であって、豪族系の臣姓をもっていた。穂積氏の遺称地・奈良県磯城郡田原本町保津は弥生時代の唐古・鍵遺跡の南西近隣に位置し、鈴木眞年の『史略名称訓義』では、饒速日命の子・宇摩志麻遅命は大和国十市郡に居て天皇に天瑞宝を献じ、この正統は同郡穂積里に居て穂積の姓を負いそれより物部氏などが分かれたとし、物部氏族の正統は穂積氏としている〔宝賀寿男『「天孫本紀」物部氏系譜の検討』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「穂積氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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