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穂積 秀一(ほずみ しゅういち、1959年12月8日 - )は、日本のプロボクサー。群馬県邑楽郡出身。帝拳ボクシングジム所属、駒込高等学校卒業。 168cmの長身・リーチを生かしたアウトボクシングでライトフライ級とフライ級で日本タイトル2階級制覇(フライ級史上最多6度防衛)、WBA世界フライ級王座に2度挑戦。 担任トレーナーは当初は小林弘、途中から桑田勇。現役時代はKKベストセラーズに勤務していた。 == 来歴 == 東邦ジム練習生としてアマチュアボクシングを経験(通算16戦8勝8敗)。 1977年11月30日、高校3年でプロデビュー。 1980年8月29日、日本ライトフライ級王者友利正に挑戦し、2-0の判定勝ちで王座を獲得した。その後、王座を返上した。 1980年11月23日、OPBF東洋太平洋フライ級王者楊弘洙に挑戦し、9回KO負けで王座獲得ならず。 1981年10月5日、日本フライ級王者玉城和昌に挑戦し、0-3の判定負けで王座獲得ならず。 1982年11月15日、日本フライ級王者船木一良に挑戦し、3-0の判定勝ちで日本2階級制覇に成功した。1983年2月4日、初防衛戦で船木と再戦し、判定勝ちで王座防衛に成功した。 1983年5月5日、23戦目で世界王座初挑戦。WBA世界フライ級王者サントス・ラシアルに挑戦し、2回KO負けで世界王座獲得ならず。 その後、石井幸喜、風来ゆうと、打越芳幸、竹下鉄美、榊原隆史を相手に日本フライ級王座の防衛に成功(通算6度)し、2度目の世界王座挑戦前に日本王座を返上した。 1986年4月7日、WBA世界フライ級王者イラリオ・サパタに挑戦し、0-3の判定負け。2度目の世界王座挑戦も失敗した。 1987年1月24日、韓国・ソウル市での試合を最後に引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「穂積秀一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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