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穴山 信風(あなやま のぶかぜ)は、戦国時代の武将。甲斐武田家の家臣。甲斐河内の国衆である穴山家の当主。穴山信君の祖父。 == 生涯 == 諸系図に拠れば、穴山信懸の子とされる〔 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年、p.189〕。諱に関しては諸系図では信風とし、『甲斐国志』では典拠は不明であるが信綱(のぶつな)としている〔平山(2011)、p.22〕。近年、高野山桜地院から発見された年未詳5月14日付の文書(『武将文苑』、『戦国遺文 武田氏編』 - 4315号)では出家後の法号で武田甲斐入道義貞と名乗っていた事が確認されている。また、高野山成慶院の寛文6年(1666年)成立の『檀那御寄進状并消息』でも「義貞」の諱が記録されている。受領名は甲斐守〔。 穴山氏では永正10年(1513年)5月に父の信懸が信風の兄弟である清五郎に暗殺される事件が発生しており(『勝山記』)、その清五郎を殺害して家督を相続した〔 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年、p.59〕〔。信風は駿河の今川氏親に従属し、永正12年(1515年)の今川軍による甲斐侵攻にも協力した(『改訂南部町誌』上巻)。 今川氏親が遠江情勢のために武田信虎と和睦して甲斐から退去すると〔 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年、p.60〕、信虎に攻められて大永元年(1521年)に降伏し、信虎に従属した〔。 享禄4年(1531年)3月12日に死去し〔、家督は嫡子の信友が継いだ〔 柴辻俊六 編『武田信虎のすべて』新人物往来社、2007年、p.190〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「穴山信風」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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