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空挺館(くうていかん)は、陸上自衛隊習志野駐屯地内にある展示施設である。 そもそもは、旧騎兵連隊の御馬見所(ごばけんじょ、ごばみどころ)として天皇や皇族が馬術などを見ることを目的に建てられた用途の建物である。習志野名所のひとつ。 == 由緒 == 戦前までは、東京帝国大学、陸軍士官学校、陸軍騎兵学校の卒業式には天皇が臨席のもと行われていた。その中でも騎兵は、当時の陸軍の中心(歩兵、騎兵、砲兵、工兵等の各兵科から編制)をなしていた事から重要視されていた。 また、明治天皇は単なる騎兵隊の戦術のみへの関心に止まらず、常に乗馬・馬術にも慣れ親しんでいたことから東京目黒の駒場にあった同学校にたびたび行幸するとともに、卒業式の当日に行われる部隊練武や個人馬術等の演目は必ず全てを総覧していたという。1887年(明治20年)頃に行われた終業式においては雨の中、全ての演武が終了するまで全身ずぶぬれで立ち尽くすなど、側近や陸軍内部内でしばしば論議が起きていた。そんな中、1911年(明治44年)に明治天皇が陸軍騎兵実施学校へ行幸する際、専用の御馬見所として創建されたのが空挺館の起源である。その後、1916年(大正5年)に同学校が習志野原に移転した際には御馬見所も移築され、天皇・皇族が各種馬術や卒・終業式を観覧する為の迎賓館、入隊した皇族の為の宿舎として使われていた。 戦後は進駐軍(米陸軍第1騎兵師団)に接収され、司令官の宿舎として使用されている。そのため内部にはペンキで塗装されたり、英字が彫られた跡が残されている。 地元ではしばらく「迎賓館」「皇族館」「皇族舎」などと呼ばれていたが、1962年(昭和37年)に「空挺館」と改名され、第1空挺団の資料及び旧日本陸軍落下傘部隊・騎兵連隊関係の資料の展示館として活用されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「空挺館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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