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窪井 義道(くぼい よしみち、1892年(明治25年)1月4日〔『帝国大学出身名鑑』〕 - 1949年(昭和24年)11月13日〔『新訂政治家人名事典』〕)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→昭和会)、内務政務次官、海軍参与官。弁護士。実業家。 ==経歴== 山口県熊毛郡三丘村(現在の周南市)出身。1918年(大正7年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した〔。大倉商事に入社したが〔『衆議院要覧』〕、1922年(大正11年)に法律研究のためドイツに留学した〔。1924年(大正13年)に帰国し、弁護士を開業した〔。 1924年(大正13年)、衆議院補欠選挙に出馬し当選〔『官報』第3453号、大正13年2月29日。〕。さらに第18回衆議院議員総選挙から第21回衆議院議員総選挙まで4期連続当選を果たした。その間、岡田内閣で海軍参与官を務め、鈴木貫太郎内閣で内務政務次官を務めた。また1941年(昭和16年)には松岡洋右外務大臣の顧問としてドイツ・イタリア訪問に随行した〔『人事興信録』第13版〕。 その他、国際工船漁業株式会社社長、黄海漁業株式会社社長、不二映画株式会社社長〔、山王館株式会社監査役〔、ウシオ製作所株式会社監査役〔『人事興信録』第10版〕、満洲興業株式会社取締役、日産無線電機株式会社社長、新興機械工業株式会社社長〔を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「窪井義道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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