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鈴鹿御前(すずかごぜん)は、室町時代の紀行文『耕雲紀行』や御伽草子『田村の草子』などの物語に登場する伝説上の女性。立烏帽子(たてえぼし)、鈴鹿権現、鈴鹿姫ともいう。伝承によって、女盗賊、天女、鬼女であったりとその正体や描写は様々であるが、室町時代以降の伝承はそのほとんどが坂上田村麻呂の鬼退治譚と関連している。 平安時代から盗賊が横行し、鬼の棲家として伝えられる三重・滋賀県境の鈴鹿山に棲んでいたとされる。盗賊として描かれる際には立烏帽子と呼ばれることが多い。 == 伝承の形成 == 鈴鹿山の立烏帽子の名は、承久の乱前後に成立したと見られる『保元物語』にあらわれる。そこでは、伊賀の武士山田是行の祖父行季が立烏帽子を捕縛したとされる〔坂詰力治・大村達郎・関明子・池原陽斉編『半井本 保元物語 本文・校異・訓釈編』(笠間書院、2010年)〕。また『弘長元年(1261年)公卿勅使記』では、鈴鹿山のうち凶徒の立つところとして西山口を挙げ、「昔立烏帽子在所ノ辺也。件ノ立烏帽子崇神社者、鈴鹿姫坐。路頭之北辺也」と注す〔「公卿勅使記」(『神道大系 神宮編3』)〕。ここでは盗賊の名が立烏帽子であり、鈴鹿姫はその崇敬した社の女神として現れる。そして立烏帽子を女性とする描写も、鎌倉時代の文献にははっきりとした形では残っていない〔ほぼ同時代に成立した『古今著聞集』巻十二には、「昔こそ鈴鹿山の女盗人とて言ひ伝へたるに」との記述が見られるが、これが立烏帽子を示すものか定かでない。〕。 この盗賊立烏帽子と鈴鹿姫が同一視され、田村将軍の英雄譚に組み込まれるのは室町時代と考えられる〔IT版『亀山市史』通史編第4章〕。14世紀に成立する『太平記』巻三十二において、鬼切の伝来について田村将軍が鈴鹿ノ御前と剣合したという記述が見られる〔『太平記』巻第三十二「直冬上洛事付鬼丸事鬼切事」〕。応永25年(1418年)の足利義持の伊勢参宮に随行した花山院長親の著になる『耕雲紀行』では、当時の鈴鹿山の様子が記されている。その昔勇を誇った鈴鹿姫が国を煩わし、田村丸によって討伐されたが、そのさい身に着けていた立烏帽子を山に投げ上げた。これが石となって残り、今では麓に社を建て巫女が祀るという〔「耕雲紀行」(『神宮参拝記大成 大神宮叢書』臨川書店、1971年)〕〔鈴鹿峠付近に、三重県指定の天然記念物「鈴鹿山の鏡岩(鏡肌)」がある。また、応永31年(1424年)の『室町殿伊勢参宮記』にも、「鈴鹿姫と申す小社の前に、人々祓などし侍るなれば、しばし立よりて、心の中の法楽ばかりに、彼たてえぼしの名石の根元もふしぎにおぼえ侍て、すずかひめおもき罪をばあらためてかたみの石も神となるめり」とある。〕。 鈴鹿姫を祀る社は、坂下宿の片山神社にあたると考えられている〔宝暦11年(1761年)に編纂された『三国地誌』「鈴鹿神祠」の項に引く片山神社の社伝では、もと三子山にあり瀬織津姫・伊吹戸主・速佐須良姫の三神を祭っていた片山神社が、寛永16年(1639年)に倭姫命を祭る鈴鹿社に遷し四神を合わせて一社としたとする。〕。南北朝時代以後、鈴鹿山の麓にある坂下では伊勢参宮の盛行を受けて宿場が整備され、往来の増加する中で、旅人を守護する存在として鈴鹿姫=立烏帽子が認識されるようになっていく〔奈良絵本『すずか』に「すゝかのたてゑほしは、すゝかのこんけん(権現)といはゝれて、とうかいたう(東海道)のしゆこ(守護)神となり、ゆきゝのたひ(旅)人の身にかはりてまもり給ふ」との記述がある。小林幸夫「大蛇の裔・田村将軍」(『在地伝承の世界【東日本】』三弥井書店、1999年)〕。鈴鹿姫への信仰は江戸時代まで続き、延享3年(1746年)の明細帳(徳川林政史研究所蔵)では坂下宿の氏神を鈴鹿大明神とし〔下中邦彦『三重県の地名 日本歴史地名大系24』(平凡社、1983年)「坂下村」の項。〕、幕府代官や伊勢亀山藩主の寄進を受けている〔「九九五集」篠山資友社領寄進状写・松平清匡神領寄進状写(『三重県史』資料編近世1)〕。当時さまざまな説が流布していたらしく、万治2年(1659年)ごろの成立とされる『東海道名所記』では、鈴鹿御前が「天せう太神(天照大神)の御母」と言いならわされていたことを記している〔浅井了意「東海道名所記」(富士昭雄校訂代表『東海道名所記/東海道分間絵図』国書刊行会〈叢書江戸文庫〉、2002年)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「鈴鹿御前」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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