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立体音楽堂(りったいおんがくどう)は、NHKで1954年11月13日 - 1966年4月2日に放送された日本初のステレオによるレギュラー・ラジオ番組である。 == 概要 == 1952年12月、NHKはラジオ第1とラジオ第2のモノラル音声2波を使ったステレオ放送を開始〔試験放送が同月5 - 7日、同月20日に最初の番組「土曜コンサート」が東京ローカルで放送。翌年2月28日から全国放送での実施(番組は同じ「土曜コンサート」)を開始する。〕(当時は「立体放送」と呼んでいた)。以後、この形式による放送を臨時番組として随時行い、これを定時番組化させたのが本番組である。 AM2波での放送は、ラジオ第1を左チャンネルで、ラジオ第2を右チャンネルで放送していた。 ステレオLPが本格的に普及し始める1960年頃までは、オープンリール式のステレオ音楽テープ及びそのプレーヤーは余りにも高価な為〔それもほとんどが欧米諸国の輸入品だったという。〕、この番組は、一般庶民が手軽にステレオ音響が楽しめる媒体として、映画のシネマスコープ等のステレオ音響と共にオーディオマニアなどから大変重宝されていた。 この番組が人気を増して行き、更に、世界的にステレオ・オーディオの普及熱が高まったことが影響してか、NHKは1956年頃から、重要な音楽演奏公演の録音については、ほとんどステレオで録音することとなった。このこともあってか、例えNHKがステレオ録音をしたにしろ、編成上等の都合で当時この番組で放送されなかったステレオ音源も数多く存在し〔例えば、第1回からのNHKイタリア歌劇公演の音源の多くや、1959年のカラヤン指揮ウィーン・フィルの来日公演の録音、1961年ミュンシュ指揮ボストン交響楽団の来日公演録音の一部など。〕、これらは後にFM放送がステレオ化された後に初めて同放送にて公開されたり、LPやCDになって初めて公開されたものや、映像と共にNHKの様々なテレビ番組やDVDにて初めて公開されたりしている経緯もある。 その後1958年8月1日になると、日本でもステレオ・レコードが発売され始め〔ちなみに、日本初のステレオレコードは、日本ビクターから発売された。詳細については、日本ビクター#年表の項目を参照のこと。〕、それを再生するステレオセットも売れて行く様になり、それにはAM2波ステレオの受信機能も付いているのが多く、更には同じ頃から、東京・大阪等の大都市に於いては、民放AM2局による同様のステレオ放送もレギュラー番組として始まる様になるなど、一般的に立体放送に関する関心も高まり、遂にNHKも1961年4月7日からは「夜のステレオ」という、AM2波による新しいステレオ番組(30分)まで登場する様になった。 しかし、高音質でモノラル放送との両立性を持つ1波によるFMステレオ放送が東京放送局にて1963年12月16日に開始されたことにより、この番組も同月22日よりFMでの同時放送を開始。更にNHKはFMステレオ放送を全国にて開始する施策を取った為、同番組も1964年4月12日の放送からはFMのみでの放送となった〔これにより、AM2波によるステレオ放送は、毎週土曜夜の「夜のステレオ」のみとなるが、同番組も1965年4月3日に終了し、これを以って、NHKのAM2波ステレオ放送の歴史に幕を下ろすこととなる。〕。その後、同年内にはFMステレオ放送が全国で開始され、これに伴って、FMでのステレオ番組も大幅に増えたため、同番組も1966年4月2日に終了することとなり、11年5か月の放送に幕を閉じた。 まず、番組が開始する前の1954年11月3日に、同番組の紹介版として、音楽物語「あなたはきこえませんか」が放送され〔立体(ステレオ)放送に関する音を集めて、幻想的な効果を出す内容である。〕、その後に開始された同番組第1回目(1954年11月13日)の放送内容は、「歓喜への頌歌」で、内容は、ベートーヴェン作曲による、交響曲第9番「合唱」の第4楽章であった〔日比谷公会堂で録音したもので、演奏は、ソプラノ・三宅春恵、アルト・川崎静子、テノール・柴田睦陸、バス・秋元雅一朗、合唱・計約200名(成城合唱団、東京藝術大学合唱団)、管弦楽・東京フィルハーモニー交響楽団、指揮・山田和男であった。〕。又、番組最終回(1966年4月2日)の放送内容は、サン=サーンス作曲の交響曲第3番「オルガン」とJ.S.バッハ作曲のオルガン独奏曲2曲(「パッサカリアとフーガハ短調BWV582」ほか1曲)であった〔演奏は、オルガン・島田麗子、管弦楽は渡邉暁雄指揮の日本フィルハーモニー交響楽団だった。〕。 尚、この番組で放送された音源の中には、クラシックを主に当時の名演奏家の貴重な来日公演等も含まれているため、後に、NHK-FMで再度放送されたり、映像も同時に収録されたものについては、NHKテレビにて音声をステレオ化させて放送したりしている。更に、CD、DVD等のソフトとして市販されるものもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立体音楽堂」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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