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立太子の礼(りったいしのれい)は、日本の皇室の儀式の一つ。立太子礼とも。 == 概要 == 少なくとも奈良時代には、天皇の詔によって皇太子が指名されていた。平安時代前期の『貞観儀式』にて立皇太子儀として定められ、確立された。10世紀の醍醐天皇からは、壷切御剣(つぼきりのぎょけん/みつるぎ)が皇太子の証として伝えられるようになった。かつては天皇が複数の候補者の中から皇太子を決めていたため、立太子の礼を行って皇太子を正式に定めること(立太子)は極めて重要な意義を持っていた。 しかし南北朝時代の崇光天皇(北朝)から江戸時代の後西天皇までの300年余り途絶え、復興されたものの、すでに立太子に先立って儲君治定(後継者指名)が行われるため、立太子の礼の後継者指名としての意味合いは低下していた。さらに明治以降は、皇室典範制定により、同法で定められた皇位継承順位に従って皇太子が決まるため、立太子の礼は完全に儀礼的なものとなった。 明治以降、立太子の礼が行われたのは、以下の4例である。 * 明宮 嘉仁親王(大正天皇):明治22年(1889年)11月3日(満10歳) * 迪宮 裕仁親王(昭和天皇):大正5年(1916年)11月3日(満15歳) * 継宮 明仁親王(今上天皇):昭和27年(1952年)11月10日(満18歳) * 浩宮 徳仁親王(現・皇太子):平成3年(1991年)2月23日(満31歳) 明治42年(1909年)2月11日に、立太子にまつわる詳細を定めた立儲令が施行されたが、昭和22年(1947年)5月2日付けで廃止されている。 立太子および立太子の礼については、皇室典範にも規定は無い。そのため、政教分離を定めた日本国憲法下では、そのつど天皇の国事行為(=国の儀式)として行われることが閣議決定され、また国事行為として行われる儀式と宮中三殿への拝礼が分離されるよう配慮している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立太子の礼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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