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立川 ぜん馬(たてかわ ぜんば)は落語の名跡である。5代目までは立川 善馬(または三遊亭善馬)と名乗りその代が現在の名前に改名している。当代は6代目とされるが代々不明な点が多い。 == 4代目まで == *初代は本名・1807年(算出) - 没年不詳・享年不詳。初代三升亭小勝の甥。2代目朝寝坊むらく門下。のちに2代目三笑亭可楽の門下で立川、または桃寿庵清翁坊を名乗る。脱疽で隻脚になった。滑稽音曲を得意とした。安政頃まで番付に見え「本朝話者系図」には明治4年で64歳で没とある。 *2代目( ? - 1867年8月7日か?)は初代(清翁坊時代)門下。本名・生年月日・享年不詳。「落語奇奴部類」には『二代目立川善馬 八丁堀ニ住ス俗ニ今川奴ト伝』とある。3代目岡本宮染(4代目岡本文弥の母)の義理の伯父(父の姉の夫)だったとされる。通称「今川奴の善馬」。 *3代目?(生没年不詳)最初は初代門下で立川善之助、のちに3代目?善馬を相続。明治に入り地方を廻り大入りし上州で千代鶴という名の寄席小屋を営んでいたこともあった。通称「幽霊善馬」。 *4代目?( ? - 1905年1月9日)は本名は森口 啓三郎(もりぐち けいざぶろう)。2代目門下で立川善之助、のちに4代目?善馬を相続。前橋で敷島座という寄席小屋を経営、1905年にその小屋の楽屋の火の不始末で家族ともども焼死したという。 *4代目(1866年、1867年頃 - 1939年5月24日)。本名は宇田川 勝太郎(うたがわ かつたろう)。3代目門下でのちに立川三馬から式亭三馬を名乗った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立川ぜん馬」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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