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立川 清登(たちかわ すみと、1929年2月15日 - 1985年12月31日)は、日本のバリトン歌手。二期会所属。本名、および旧芸名は立川 澄人(本名の読み方は“たつかわ すみと”)、所属レコード会社はビクター音楽産業(現JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)。洗足学園大学客員教授も務めた。 == 来歴・生涯 == 大分県大分市出身。大分県立別府第二高等学校(現大分県立芸術緑丘高等学校)、東京芸術大学卒業。マルガレーテ・ネトケレーヴェ、中山悌一に師事。1953年『椿姫』のジェルモンでデビュー。歌劇を始めミュージカル、テレビ番組への出演も多く、NHK紅白歌合戦にも1963年から1966年まで連続4回出場した。代表的な役は『こうもり』のファルケ博士や『フィガロの結婚』のフィガロなど。1960年代後半、芸名を「清登(読み方は“すみと”のまま)」に改名。 代表曲は『みんなのうた』で放送された「大きな古時計」、1980年にリリースされた「阪神タイガースの歌」など。オペラ以外にも、童謡、歌謡曲など幅広いジャンルで歌唱を残している。 細い目をした親しみやすい風貌、オペラでも喜劇系を得意としたユーモラスなキャラクター、機知にとんだ語り口から本業の歌手以外でも司会等、テレビタレントとしても活躍。NHK『世界の音楽』や『音楽をどうぞ』の司会、フジテレビ系列『オールスター家族対抗歌合戦』の審査員などでも知られる。この他、FM東京系列『新日鐵アワー・音楽の森』の2代目パーソナリティー(初代は山本直純、立川の没後に羽田健太郎が引き継ぐ)や、NHK教育テレビの小学2年生向け学校放送番組『うたって・ゴー』にも出演した。また、1983年5月、八木治郎の急逝で空席となっていた毎日放送(MBS)の土曜朝のワイドショー番組『すてきな出逢い いい朝8時』の2代目司会を務めた。 1973年、出身地である大分県の民話にちなんだ創作オペラ「吉四六昇天」(清水脩作曲)の主役として特別出演した。 1985年12月10日、鳥取県米子市内のホテルで開かれたディナーショーにて、最後の曲「メモリー」を歌唱中、身体の不調を訴えそのまま入院。持病の高血圧が原因による脳幹出血により意識不明となる。一時は意識を回復したものの、左半身麻痺を併発。12月31日、治療の甲斐なく都内の病院にて脳溢血により死去。。 翌1986年1月4日、司会を務めていた「いい朝8時」では追悼企画を組み、サブ司会者のうつみ宮土理と野村啓司(当時MBSアナウンサー)が立川の思い出を振り返った。また、同年1月13日、審査員を務めていた「オールスター家族対抗歌合戦」で追悼特番を放送、同じく審査員の近江俊郎が弔辞を読み号泣した。 姓の読みは「うたって・ゴー」のオープニングでも自ら「こんにちは、''たちかわ''のおじさんだよ~!」とコールしているが、正式には「たつかわ」である。テレビ・ラジオ等に出演の際紹介される度に「たちかわ」と思い込んだ視聴者・聴取者からの「誤りではないか」との問い合わせが放送局に相次ぎ、混乱を防ぐためにやむなく芸名として「たちかわ」とした経緯がある。 なお、1966年3月5日に発生したBOAC航空機事故で、実姉とその家族を亡くしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立川清登」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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