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立川熊次郎 : ミニ英和和英辞書
立川熊次郎[たつかわ くまじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [くま]
 【名詞】 1. bear (animal) 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

立川熊次郎 : ウィキペディア日本語版
立川熊次郎[たつかわ くまじろう]

立川 熊次郎(たつかわ くまじろう、1878年5月15日 - 1932年1月9日)は、日本の実業家出版人である〔''大正の文庫王 立川熊次郎と「立川文庫」''姫路文学館、2012年7月25日閲覧。〕〔''立川文庫の人たち(3)''大阪日日新聞、2012年7月25日閲覧。〕。立川文明堂社主〔〔。大正時代に爆発的な人気を誇り、その後の日本の剣豪小説剣戟映画に影響を与えた「立川文庫」の創設者として知られる〔〔。
== 人物・来歴 ==

=== 創業まで ===
1878年明治11年)5月15日兵庫県揖東郡宮田村(のちの同県揖保郡勝原村字宮田、現在の同県姫路市勝原区宮田)の富農の家に生まれる〔〔。名の知られた兄弟姉妹に、姉こすみ(製粉業井上寅之助の妻)、姉かじ(増進堂・受験研究社創立者岡本増次郎の妻)、弟捨蔵(のちに立川文明堂共同経営)がいる〔〔。
1888年(明治21年)、父が堂島米会所での米相場で失敗して財産を失い、通っていた勝原村立育英小学校(その後合併等を経て現在の姫路市立旭陽小学校)を中途退学させられて奉公に出る〔〔。1893年(明治26年)、貧困のなか姉こすみが製粉業井上寅之助と結婚したことを機にかんぴょうの販売に打ち込み、4年後の1897年(明治30年)、築いた財産で姉の嫁入り道具を井上家に納入した〔。1898年(明治31年)、井上が同県飾磨郡津田村(現在の同県姫路市飾磨区)に設置した水車小屋で働き、再び貯蓄をなす〔。その後、大阪の古書店経営者岡本増次郎の妻となっていた姉かじの誘いで、岡本が「岡本増進堂」(現在の増進堂・受験研究社、所在地は現在の大阪市西区新町2丁目)を古書店から新刊書の取次を始めるころに、同店の従業員となり、貸本屋への卸業務等を務め、書籍業界・出版業界について学ぶ〔〔。
満26歳を迎える1904年(明治37年)、大阪市東区唐物町(現在の同市中央区南本町)に出版取次業「立川文明堂」を創業する〔〔。国立国会図書館蔵書には、その前年の1903年(明治36年)に立川の個人名義で出版している『大阪名所案内』が存在することから〔''立川熊次郎''国立国会図書館、2012年7月25日閲覧。〕〔大阪名所案内 附畿内名勝記 、国立国会図書館、2012年7月25日閲覧。〕、当初から事業を出版業に拡大することは視野にあったようである〔。このころ妻・朝尾と結婚する〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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