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立川 談慶(たてかわ だんけい、1965年(昭和40年)11月16日 - )は、落語立川流所属の落語家。長野県上田市(旧丸子町)出身。本名は青木 幸二(あおき こうじ)。駿台甲府高等学校を経て慶應義塾大学経済学部卒業。出囃子は『インザムード』。 株式会社ワコール正社員、吉本興業福岡事務所(よしもとクリエイティブ・エージェンシー福岡支社の前身)第一期、立川流Cコース、同Aコースと特異な経歴を持つ。 == 略歴 == 1988年4月、株式会社ワコールに入社、福岡支社に配属。福岡・佐賀地区の担当として、営業に回っていた〔「立川談慶、安定した生活を捨て談志さんに弟子入り 前座暮らしは最高のサファリパーク 」夕刊フジ、2013年8月30日。〕。 その後落語家を志し、芸人活動を開始。しかしお笑いとして何の経歴もないまま落語家になるのは難しいと思い、「作家」の肩書きを手土産に落語の世界に入ろうと思い至る〔「 24年ぶりの漫才師と落語家——博多大吉×立川談慶『自然にみんな上を向いちゃうような人間関係がある』 」cakes、2015年3月31日。〕。こうして1990年4月、オーディション番組『激辛!?お笑いめんたい子』(テレビ西日本)に参加。それがきっかけとなり、同5月吉本興業福岡事務所の1期生のオーディションに合格。初代吉本福岡事務所長の「芸人は本名ではなく芸名で」という方針で、働いている会社名からあやかり、芸名を『ワコール青木』とする。こうして平日は会社員、土曜と日曜は芸人という生活を送る〔。 1991年4月、ワコールを退社し、吉本福岡事務所も退所。同年5月に立川流Aコースに正式入門、前座名はワコール会長からも了解を取って「立川ワコール」とした〔談志が会長・塚本幸一の半世紀を読んで感動したためにこの名前になったが、上層部は反対した。会長が鶴の一声で「まあ、ええんちゃう」ですまされたという『大事なことは立川談志(ししょう)に教わった』p.14f。〕。見習いから前座になるまで1年2ヶ月、前座としての仕事が与えられるようになり、重宝がられるまで3〜4年かかったという。通常5年程度だとされている前座暮らしは、最終的に9年半という期間になった〔。 2000年12月、二つ目に昇進。立川談志の命名により「立川談慶」に改名。2005年3月、真打昇進。(慶應義塾大学では初の落語家) *2006年 3月、ひかり荘で25時間連続落語、25席を演じる。 *2013年 2月、 アカペラボーカルグループINSPIとのコラボ「アカペラ落語の会」を企画・脚本執筆・演出・上演。 *2013年 7月、KKベストセラーズより「大事なことはすべて立川談志に教わった」を出版。 *2014年 9月、KKベストセラーズより「落語力」を出版。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立川談慶」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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