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立石 敬之(1969年7月8日 - )は福岡県北九州市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 ==来歴== 学生時代は、響南中学校で全国3位〔同期に本田泰人。〕、国見高校で総体準優勝、1987年度の選手権では、同期のFW二宮浩〔二宮の他には中尾幸太郎、村田一弘、吉田裕幸。〕及び一学年下のMF永井秀樹と共にチームの軸となり決勝戦の無失点勝利に貢献して優勝を果たすなど活躍。創価大学に進むとブラジルやアルゼンチンへの留学で経験を積んだ。 大学卒業後はブラジルのECノロエスチでプレーし、後にベルマーレ平塚、東京ガス(後のFC東京)、大分トリニータと旧JFLでプレー。東京ガスでは岡島清延とドイスボランチを形成し活躍。大分では現役引退後もコーチや強化部長などを歴任、トップ強化とユース育成を同時進行で進める激務をこなした。 2005年度に日本サッカー協会A級ライセンスを取得〔2005(平成17)年度 公認A級・B級コーチ養成講習会 判定結果 日本サッカー協会 2006.04.13〕。2006年には、2002年にパルマACでのコーチ研修で知り合ったマッシモ・フィッカデンティ監督に請われて〔元伊トップチームコーチが語るセリエA成功への道筋 東京中日スポーツ、2010年8月12日〕イタリアへ渡り、エラス・ヴェローナでコーチを経験〔 日刊スポーツ (2005年12月12日)〕。帰国後S級ライセンスを取得。 2007年からはFC東京強化部に所属し、強化部長代理〔鈴木強化部長が退任 東京中日スポーツ、2011年1月22日〕を経て、2011年より鈴木徳彦の後任として強化部長に就任した。2015年からは同クラブのGMとして普及・育成・強化の各分門を束ね〔FC東京は、こうやって「武藤」を育て上げた 選手の"自立"を促す、育成型クラブの極意 (4/5) 東洋経済 (2015年6月11日)〕中長期的なクラブ戦略を担った〔【GMが描く未来】夢を追い求めて…強い“ トーキョー”のつくりかた / 立石敬之 (FC東京ゼネラルマネージャー) (2/3) SOCCER KING (2015年5月23日)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立石敬之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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