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立花 鑑一(たちばな あきかず)は、筑後国柳河藩第7代藩主・立花鑑通の四男で、2人目の嗣子。第9代藩主立花鑑賢の実父。諱は茂喬、のちに通弘、鑑一。幼名は千之進。通称は美作、美濃。妻は立花茂久の娘(立花茂雅養女)。 == 経歴 == 宝暦12年(1762年)に柳河御花畠にて出生。実母は寛政重修諸家譜では後藤氏とあるが、実は商家中村氏の娘。 柳川藩家臣で立花帯刀家分家で父の従兄弟にあたる立花茂雅(伊豆)の養子となり、茂雅の養女(実は立花茂久の娘)を妻とする。 長兄で柳河藩嫡子だった立花鑑門が寛政元年8月11日(1789年9月29日)に早世し、加えて当初白羽の矢が立った三兄の立花通厚が嗣子の座を放棄して、鑑一を推薦した〔但し通厚は当時、家老家の十時氏養子で立花姓でなかった〕ので藩主家に戻されて同年11月に嫡子に指名され、鑑一と改名。同年徳川家斉に拝謁し、翌年従五位下山城守に叙任。 寛政3年(1791年)には従四位下に任じられるが、家督を継ぐことなく寛政5年8月9日(1793年9月13日)に32歳で早世した。代わって、弟の立花鑑寿が嫡子となった。長男の鑑賢は後に柳河藩主となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立花鑑一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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