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立花 鑑門(たちばな あきかど、宝暦5年9月27日(1755年)ー寛政元年8月11日(1789年9月29日))は、筑後国柳河藩第7代藩主・立花鑑通の長男で、最初の嗣子。実母は篠沢藤右衛門の娘、たみ。幼名は富之進。正室は井伊直幸の娘、継室は小出英常の娘で、井伊直幸の養女として婚姻。同母弟は立花監物家3代目の立花通玄。 == 経歴 == 宝暦5年(1755年)に柳川城下花畠亭にて出生〔元文3年(1738年)以降、柳川藩の奥(江戸幕府大奥に相当)機能は柳川城二の丸から花畠に移転した〕。 明和3年(1766年)に柳河藩嫡子となり、安永3年(1774年)に徳川家治に拝謁する。翌年従五位下丹後守に叙任し、天明7年(1787年)には従四位下に任じられる。十時兵庫が附役を務める。 しかし、家督を継ぐことなく寛政元年8月11日(1789年9月29日)に35歳で江戸で早世した。三弟の立花通厚が嗣子の座を辞退したこともあり、代わって、四弟の立花鑑一が嫡子となった。墓所は広徳寺。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立花鑑門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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