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吉野(よしの Yoshino)は鹿児島県鹿児島市の町名。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島近在吉野村及び大隅国始羅郡帖佐郷脇元村の一部〔明治時代頃まで竜ヶ水は脇元村の飛地であったが、竜ヶ水の区域自体は薩摩国の領域であった〕、鹿児島郡吉野村大字吉野の一部〔吉野村の大字吉野は現在の坂元町の区域が含まれるため現在の吉野町の区域は大字吉野の一部にあたる〕。 吉野一丁目、吉野二丁目及び吉野町があり、吉野一丁目及び吉野二丁目の全域で住居表示を実施している〔80 住居表示実施 平成27年2月2日 川上町、下田町、吉野町→吉野1,2丁目 - 鹿児島市、2015年2月2日閲覧。〕。郵便番号は吉野町の区域は892-0871、吉野一丁目及び吉野二丁目の区域は892-0877である。2015年3月末現在の人口は34,342人、世帯数は13,267世帯である〔推計人口(平成27年3月1日現在) - 鹿児島市、2015年4月11日閲覧。〕。2012年1月現在の町域の面積は約3,310ha〔3,310ヘクタール=33.1平方キロメートル〕である〔。 磯地区にある集成館事業の中核を担った旧集成館(旧集成館反射炉跡、旧集成館機械工場、旧鹿児島紡績所技師館)及び、集成館事業で使用する木炭を生産していた寺山地区にある寺山炭窯跡が、下田町にある関吉の疎水溝とともに、2015年7月の第39回世界遺産委員会において、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている〔2015年7月6日付『南日本新聞』 1面(集成館 世界遺産)〕。 また、1989年10月21日に発見された小惑星の『吉野』は、発見者の一人である向井優が鹿児島市吉野町出身であることから、町名より命名された〔JPL Small-Body Database Browser 5640 Yoshino - アメリカ航空宇宙局 2011年11月20日閲覧。〕〔ニュース(2009年6月) - 薩摩川内市せんだい宇宙館 2011年11月27日閲覧。〕。 ==地理== 鹿児島市の北東部、稲荷川上流域に位置している。町域の北方には鹿児島市川上町、鹿児島市宮之浦町、姶良市脇元、南方には鹿児島市清水町、祇園之洲町、大明丘、東坂元、西方には鹿児島市坂元町、下田町がそれぞれ隣接しており、東方から南方にかけては鹿児島湾に面している。 町域の東部にあたる海岸部を国道10号がほぼ南北に通っており、それに沿って日豊本線が通っている。町域内には竜ヶ水駅が所在している。また、町域の中央部の台地上を鹿児島県道16号鹿児島吉田線が縦貫しており〔角川日本地名大辞典 p.694〕、吉野支所入口交差点から鹿児島県道215号吉野公園線が寺山公園までを結んでおり、寺山公園付近から川上町までを鹿児島県道220号寺山公園線が結んでいる。 中央部の台地上には鹿児島市役所吉野支所があり、吉野支所は旧吉野村の区域のうち吉野町の磯、花倉、三船、竜ヶ水及び平松地区を除く区域を管轄区域としている〔鹿児島市役所支所設置条例 - 鹿児島市例規集 2012年7月14日閲覧。〕。また、吉野町のうち海岸部の磯、花倉、三船、竜ヶ水及び平松地区は鹿児島市役所本庁の管轄区域となっている。 教育施設は中央部に鹿児島市立吉野小学校、鹿児島市立吉野中学校、東部に鹿児島市立吉野東小学校、鹿児島市立吉野東中学校、吉野一丁目に鹿児島県立鹿児島養護学校が設置されている。北東部には鹿児島市立少年自然の家がある。また、1970年までは磯から平松までの国道10号沿線区間及び上ノ原集落を通学区域とする鹿児島市立龍水小学校が竜ヶ水駅付近に所在していたが、清水小学校及び吉野小学校にそれぞれ統合された〔学校の沿革 - 鹿児島市立清水小学校 2011年9月15日閲覧。〕〔学校沿革 - 鹿児島市立吉野小学校 2011年9月15日閲覧。〕。 また、江戸期には鹿児島城下と大隅・日向を結ぶ薩摩街道の大隅路があり、現在の国道10号のルートの一部となる海岸ルートが完成するまでは姶良より白銀坂、吉田、吉野を通り坂元から皷川へ抜けるルートが使用されていた〔古地図にみるかごしまの町 p.162〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「吉野 (鹿児島市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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