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竜 済光(りゅう さいこう)は、清末民初の軍人。民国初期に広東省を支配した軍人政治家(軍閥指導者)。北京政府・袁世凱を支持した。字は子誠(または、紫丞、子澄)。ハニ族(哈尼族)〔李期博主編『紅河哈尼族彝族自治州哈尼族辞典』、孫代興「竜済光」、中国紅河網による。呉顕明「竜済光」と徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』はイー族(彝族)としている。〕。 == 事跡 == === 清末から辛亥革命まで === 雲南省蒙自県のハニ族土司(逢春嶺・納更土司)の家庭に生まれる。成年になると、土司の家柄により、昆明で官位に就いた。光緒14年(1889年)、故郷に戻り、団練を組織している。 1904年(光緒30年)1月、広西省で発生した会党の大規模な蜂起が発生する。これを鎮圧するため、竜済光は両広総督岑春煊の動員に応じて広西入りした。竜は陸栄廷とともに会党鎮圧に貢献し、その軍功により、1905年(光緒31年)6月に署理広西右江道に任命された。 1907年(光緒33年)12月、孫文が鎮南関蜂起を起こすと、竜済光と陸栄廷はこれを鎮圧する。その軍功で、竜は署理広西提督に就任した。1911年(宣統3年)4月、竜は革命派鎮圧のため広東省へ異動する。 同年11月、広東で革命派が武昌起義に呼応して独立を図る。革命派は竜済光を副都督として取り込もうとしたが、竜は省独立を拒否した。しかし結局、胡漢民・陳炯明らが広東での蜂起に成功している。 中華民国成立とともに、竜済光はいったん綏靖処副経略に任命された。1913年(民国2年)、陳炯明らが第二革命(二次革命)を発動する。竜は袁世凱から広東鎮撫使に任命され、陳を駆逐して広東省の統治権を掌握した。同年8月、広東都督兼署民政長に正式に任命されている。1914年(民国3年)6月、振武上将軍督理広東軍務に任命された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竜済光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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