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龍野藩(たつのはん)は、播磨国龍野周辺を領有した藩。藩庁は龍野城(現兵庫県たつの市)に置かれた。 == 略史 == 江戸時代初頭は播磨一国を支配する姫路藩池田氏の領有する地であった。元和3年(1617年)池田利隆が33歳の若さで没すると、嗣子の幸隆(後の光政)は幼少であったため、鳥取藩に転封となった。播磨の所領は、松平信康の娘・峯高院が嫁いだ小笠原秀政の明石藩10万石、同じく妙高院が嫁いだ本多忠政の姫路藩15万石及びその部屋住料10万石。更に忠政の次男本多政朝の龍野藩5万石と、徳川家康の娘・良正院の遺領を分配した赤穂藩3.5万石、平福藩2.5万石、山崎藩3.8万石とその池田氏一族の鵤藩1万石、林田藩1万石の中小藩に分割された。このうち龍野には上総国大多喜藩より譜代大名の本多政朝が5万石で入封し、龍野藩が立藩した。政朝は鶏籠山上の山城であった龍野城を山麓に移し、近世平山城として再構築した。 寛永3年(1626年)、実兄で姫路藩主の本多忠刻が嗣子なく没したため、政朝は寛永4年(1627年)に宗家である姫路藩を嗣いだ。代わって、忠刻の甥小笠原長次が龍野領5万石に忠刻の妻千姫の化粧料10万石のうち1万石を与えられ、計6万石をもって入封した。長次は寛永9年(1632年)、2万石の加増を受け豊前国中津藩に転封となった。これにより一時、龍野は幕府直轄となった。 寛永10年(1633年)、岡部宣勝が美濃国大垣藩より5万3千石で入封した。しかし寛永13年(1636年)には摂津国高槻藩に転出した。これにより再び幕府領となった。 寛永14年(1637年)、末期養子が認められなかった外様大名の京極高和が出雲国松江藩より6万石で入封した。高和は万治元年(1658年)、讃岐国丸亀藩〔丸亀藩京極家は転封後も揖東郡網干興浜に陣屋を設置して揖東郡6ヶ村・揖西郡22ヶ村に1万3,000石余りを領した〕に転封となった。龍野領は3度目に幕府領となり、龍野城も破却された。 寛文12年(1672年)、信濃国飯田藩より脇坂安政が5万3千石で入封した。幕府より城の再建を許され、龍野城は修築された。脇坂家は元々外様大名であったが、安政は老中堀田正盛の次男であったため、天和3年(1683年)に願譜代となった。のち、脇坂家は正規の譜代となっている。宝永6年(1709年)に3代安清が襲封した際、弟の安利に2千石を分与し5万1千石となり、以後これが龍野藩の表高となった。8代安董は28年にわたって寺社奉行を務め、老中まで累進している。寺社奉行時代には西本願寺の騒動を裁断するなど仏教界の綱紀粛正に努めた。老中時代には但馬国出石藩の仙石騒動を処断、家老仙石左京の獄門、藩の石高を半減するなどの辣腕を振るった。このため、「5万石でも脇坂様は花のお江戸で知恵頭」と謳われた。また、彼は藩政でも才幹を発揮した。寛政2年(1790年)価定方役所(あたいさだめかたやくしょ)を設置し、物価安定を図った。文化2年(1805年)に江戸に藩校「敬楽館(けいごうかん)」を開き、天保5年(1834年)には龍野に「文武稽古所」を開き、人材の育成に努めた。 江戸時代に入り地元産の大豆・小麦、赤穂産の塩を原料とする醤油製造が盛んになり、天保年間(1830年 - 1844年)に至って隆盛を極めた。醤油(特に薄口醤油)は現在でも龍野の特産品として知られている。 9代安宅も寺社奉行・京都所司代・老中と累進している。天保13年(1842年)に江戸の藩校を廃止、龍野の「文武稽古所」を藩校「敬楽館」とする教育改革を行った。 幕末の当藩は老中を輩出したこともあって佐幕であり、また幕府側も龍野藩を頼りにしていた。しかし、10代安斐は第二次長州征伐において出兵はしたものの、播磨国内の赤穂郡で進軍を止めた。以後、同藩は勤王に転じ、慶応4年(1868年)の戊辰戦争では越後に出兵した。明治4年(1871年)廃藩置県により龍野県となる。その後、姫路県・飾磨県を経て兵庫県に編入された。藩主家は明治17年(1884年)子爵となり華族に列した。 脇坂家は戦後に東京へ移住するまで龍野にとどまったため、地元ではいまだに脇坂家への敬愛の念が残ると言われる。また、地元の一部には、隣藩だった姫路への強いライバル意識があると言われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「龍野藩」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tatsuno Domain 」があります。 スポンサード リンク
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