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竜電剛至 : ミニ英和和英辞書
竜電剛至[りゅうでん ごうし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [りゅう]
 【名詞】 1. (1) dragon 2. (2) promoted rook (shogi) 

竜電剛至 : ウィキペディア日本語版
竜電剛至[りゅうでん ごうし]

竜電 剛至(りゅうでん ごうし、1990年11月10日 - )は、山梨県甲府市出身で高田川部屋所属の大相撲力士。本名は渡邊裕樹(わたなべ ゆうき)。身長189cm、体重149kg。血液型AB型。左四つ、両差し、寄りを得意技とし、最高位は西十両12枚目(2012年11月場所)。
== 人物 ==
3人兄弟の末っ子として生まれ、長兄・次兄の影響で池田小1年から柔道を始める。同小学校卒業後は、柔道の強豪であった隣の甲斐市にある竜王中に進学し、柔道に取り組んでいた。
中学2年の時に柔道部の同級生をスカウトしようと中学校にやってきた当時の千田川親方に出会い、勧誘。これは同級生の他に「もう一人体の大きな子」がいると校長が勧めたことによるものだった。それまで相撲については全く知らず、柔道での高校進学の誘いもあったが、親方の「男の中の男になれ」という言葉に胸を打たれ、中学3年の夏に入門を決意した。
ちなみに次兄は同じ竜王中卒業後、前橋育英高に進学。関東大会2位、高校総体でベスト8になる実力で、国士舘大学柔道部に所属していた。
「兄は結構強い選手で有名だったから、自分は『相撲で有名になろう』という気持ちがあった。中学の時は、柔道で伸び悩んでいる感じもあったので」とも述べている。しかし中学3年の10月には自身も柔道の県大会で優勝している。
中学卒業後の2006年3月場所に高田川部屋から初土俵。同期には栃ノ心境澤政風らがいる。四股名は出身校の「竜王中」と、雷電爲右エ門から取ったもの。
とんとん拍子で、初土俵から2年後の2008年3月場所で新幕下へ駆け上がったが〔当時17歳3ヶ月で、平成に入ってからは貴乃花稀勢の里に次ぐ最年少での幕下昇進。〕、2勝5敗と大敗。2度目の幕下となる同年11月場所でも3勝4敗と負け越しを喫したが、翌年1月場所は初日に黒星を喫した後は6連勝し、勝ち越し。その後も幕下で取り続け、2009年7月場所では6勝1敗と好成績を残し、優勝決定戦まで進出したが、翌場所新十両となった双大竜に敗れる。
同年9月場所では幕下46枚目から19枚目まで躍進し、4勝3敗。11月場所では自身最高位となる幕下15枚目で5勝2敗という好成績を残した。同い年である千賀ノ浦部屋舛ノ山(ただし入門は2場所後)と共に、初の平成生まれの関取候補として、また近年では珍しい叩き上げの日本人力士ホープとして注目を浴びていた。
師匠の高田川は「将来は横綱にする」、また相撲教習所の顧問だった中立大嶽(当時・山響)の両親方からは「素直で真面目。人の話を良く聞いてやろうとする姿勢が見える。強くなりたいという意思がある」という高い評価を受けている。
2009年の大相撲を振り返る番組「大相撲 とことんいいます」(同年12月29日NHKで放送)では、舞の海好角家デーモン小暮閣下らから、隠岐の海と共に今後の活躍を期待する存在として話に上がった。なお幕下の力士が候補に上がることは極めて異例。
しかしこの期待を受けた矢先に2場所連続で負け越し失速。特に2010年3月場所の貴ノ岩戦では頭から土俵に落ちて脳震盪を起こし、車椅子で運ばれるという屈辱を味わった。この負け越しにより2010年の十両昇進はほぼ絶望的となった。
一時は幕下下位まで番付を落とし、この間に2010年11月場所新十両髙安、舛ノ山を筆頭に、数名の平成生まれ力士が十両に昇進。部屋の弟弟子である達(当時)に初めて番付で追い越されたことも一因となり発奮し、2012年9月場所は東幕下12枚目の地位で7戦全勝とし、幕下優勝を決めた。この好成績により、翌11月場所での新十両昇進が決まった〔大相撲九州場所:足踏み4年、今からが勝負 新十両の竜電 毎日jp 2012年9月26日閲覧〕。この昇進により竜電は、1990年5月場所で十両に昇進した元十両秀ノ花以来22年ぶりの山梨県出身関取となった。更に、高田川部屋が元安芸乃島の現師匠に代わってからは初めての関取誕生となった。新十両昇進時に山梨スピリッツが組んだ特集には関取昇進の近い竜電が泣きべそをかくほどに厳しい高田川の指導の様子が報じられ、竜電はその特集で「できると思ってるから親方はやらせてくれる。だから逃げることはできない」と猛稽古を課したことに謝意を表していた。〔YBS TV 山梨スピリッツ 2012.11.4〕
新十両の場所では序盤こそ奮闘していたが、その後8日目に右股関節を痛め、翌9日目から途中休場した。幕下に転落した次の場所は皆勤したが負け越し、その後は怪我のため途中休場した1場所を挟んで6場所連続休場。序ノ口にまで番付を落とした2014年1月場所も初日から休場したが、全休すれば番付外に転落してしまうため、十分に回復はしていない中で7番相撲だけ出場〔幕下以下の取組編成は相星対決が原則であり、そのため同じくこの場所を序ノ口で6休していた森麗との対決となった。〕し、3場所ぶりに白星を挙げた。翌3月場所から7月場所にかけても同様の星取が見られた。完全復活したのは9月場所であり、この場所は10場所ぶりの皆勤出場で7戦全勝の序ノ口優勝を果たした。翌11月場所(序二段)とその次の2015年1月場所(三段目)も7戦全勝で優勝している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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