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章要児 : ミニ英和和英辞書
章要児[しょう ようじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しょう, あきら]
 【名詞】 1. (1) chapter 2. section 3. (2) medal 
: [かなめ]
 【名詞】 1. pivot 2. vital point 
: [じ]
  1. (n-suf) child 

章要児 : ウィキペディア日本語版
章要児[しょう ようじ]
章 要児(しょう ようじ、506年 - 570年)は、南朝陳の武帝陳霸先皇后。本姓は鈕氏。本貫呉興郡烏程県
== 経歴 ==
の散騎侍郎の章景明と蘇氏(安吉県君)のあいだの娘として生まれた。成長すると、その容姿とふるまいは美しく、手の爪の長さを5寸に伸ばした。読み書き計算を得意とし、『詩経』と『楚辞』を暗誦することができた。陳霸先ははじめ呉興郡の銭仲方の娘を先妻に迎えていたが、早くに死去したため、要児を後妻として迎えた。
545年大同11年)、陳霸先が交州に南征すると、要児は陳昌陳蒨とともに広州から海道を通って長城県に帰った。侯景の乱が起こり、551年大宝2年)に陳霸先が豫章におもむくと、要児は侯景の軍に捕らえられた。翌年に侯景の乱が平定されると、要児は解放されて長城県公夫人となった。557年太平2年)1月、義興国夫人となった。同年(永定元年)10月、陳が建国されると、皇后に立てられた。
559年(永定3年)6月、陳霸先が死去すると、要児は中書舎人の蔡景歴と相談して、夫の死を隠して喪を発さず、臨川王陳蒨を南皖から召し出した。文帝(陳蒨)が即位すると、7月に要児は皇太后となり、慈訓宮に起居した。566年天康元年)4月、廃帝(陳伯宗)が即位すると、要児は太皇太后となった。568年光大2年)11月、要児は廃帝を臨海王に落とし、安成王陳頊に即位するよう令を下した。569年太建元年)1月、宣帝(陳頊)が即位すると、要児はまた皇太后となった。570年(太建2年)3月、紫極殿で死去した。享年は65。4月、万安陵に陪葬された。は宣太后といった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「章要児」の詳細全文を読む




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