|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 神 : [かみ] 【名詞】 1. god ・ 神社 : [じんじゃ, かむやしろ] 【名詞】 1. Shinto shrine ・ 社 : [やしろ] (n) shrine (usually Shinto)
竪神社(たてじんじゃ)は、東京都稲城市百村にある神社である。 大雷神を祭神とする。 == 概要 == 所在地としては稲城市百村であるが、地域的には多摩ニュータウンの中に存在する(多摩ニュータウンの中に神社があるのは珍しい)。かつてはこの地は多摩丘陵の里山であり、おそらくは里山の中に祀られていた神社であると思われる。創建時期を明記した史料は存在していないが、本殿の礎石に「宝暦十四年願主松本権之丞建立」(1764年)とある為、これが創建の年であると考えられている。現在の本殿は、明治時代の中期に建てられた。拝殿は、明治21年(1888年)に建造されたものであるが、稲城竪台土地区画整理事業を機に、崇敬者の寄進により平成10年(1998年)に新築された。神社内には、慶応4年(1868年)のキリシタン禁令等に関する太政官高札5枚などが保存されている。 かつては多摩丘陵の豊かな森に囲まれており、集落からは相当に離れた山の上に鎮座していたが、ニュータウン開発に伴って神域の森は失われた。現在では敷地は極めて狭く、背後を南多摩尾根幹線が通過している。神社の境内は、縄文期から平安期までの集落・製鉄遺跡である竪台遺跡に隣接しているが、遺跡との関係は不明である。 タテという地名は、この神社の東側にある竪谷戸(たてやと)と共通するものであるが、中世にこの神社の付近にあった百村城(百村館)の「館(たて)」が「竪」に転じたのではないかとも推測されている。 稲城市教育委員会編『稲城の地名と旧道』には、向陽台地区が建設される以前には鬱蒼とした森の中にあり、麓である百村地区(住居表示上は現在の向陽台地区も百村であったが)からこの神社に上るのは大変であった、との古老の回想が記されている。稲城かるた(稲城市の郷土かるた)には、「(ら)雷神を 祀る氏神 竪神社」と詠まれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竪神社」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|