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竹売(たけうり)は、中世(12世紀 - 16世紀)期に存在した日本の行商人である〔''竹売''、世界大百科事典 第2版、コトバンク、2012年8月29日閲覧。〕。なかでも、山科家を本所とし竹を貢納および販売する者、およびその身分を竹供御人(たけくごにん)といい、同家に属した散所にあって竹を販売する者を竹売散所者・竹うり散所者(たけうりさんじょもの)という〔。江戸時代(17世紀 - 19世紀)に、切った篠竹(メダケ)を行商した者も「竹売」と呼んだ〔竹売 、江戸年中行事&風俗、2012年8月29日閲覧。〕。 == 略歴・概要 == 室町時代(14世紀 - 16世紀)、当時の経済流通・交通の変化・発展を受け、農民が自ら伐採した竹を売る「竹売」に進出する例もあったが、京都においては、山城国宇治郡山科荘(現在の京都市山科区)の山科家を本所とした「竹供御人」が、供御人として朝廷に竹を貢納し、独占的に販売していた〔。山科家の「竹供御人」は、 * 紀伊郡深草(現在の京都市伏見区深草) * 宇治郡木幡(現在の京都府宇治市木幡) の2か所に存在した〔。1481年(文明13年)には、深草と木幡の「竹供御人」どうしがその利権を争い、結果的には「伏見ハひさしき供御人、小幡ハちかし」(「伏見の深草は古来の供御人であり、木幡は最近のものである」の意)と判定された記録が残っている〔。このほか「山科散所」の者たちも、竹うり散所者(竹売散所者)として、「竹売」を行った〔。当時、掃部助・大沢重有が差配していた、この「竹売散所」の所在地は不明である〔世界人権、p.220-221.〕。同時期、15世紀末の1494年(明応3年)に編纂された『三十二番職人歌合』には、材木を売る「材木売」とともに「竹売」として紹介されている〔〔小山田ほか、p.142.〕 江戸時代の江戸(現在の東京都)で、切った篠竹(メダケ)を、「タケヤ」を連呼しながら売り歩いた行商人も、「竹売」と呼ばれていた〔。店を構えた者は「竹屋」と呼ばれた〔、2012年8月29日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹売」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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