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竹内久盛 : ミニ英和和英辞書
竹内久盛[たけのうち ひさもり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 

竹内久盛 : ウィキペディア日本語版
竹内久盛[たけのうち ひさもり]
竹内 久盛(たけのうち ひさもり、文亀3年(1503年)〔デジタル版 日本人名大辞典+Plus 〕 - 文禄4年6月6日1595年7月12日)?)は、日本戦国時代武将兵法家古武道竹内流の開祖。中務太夫。前名、垪和久幸。
== 経歴 ==
美作国久米郡垪和(はが)庄(現・美咲町)の清和源氏庶流・垪和氏、垪和幸次の子で、西垪和に一ノ瀬城を築き、1万3千石を領したという。同族の杉山為就の養子として育てられた。片山伯耆流を起こした片山久安伯耆守1574年 - 1650年)は久盛の弟とされる。
竹内家伝『竹内系書古語伝記』によれば、久盛は幼いころより剣を好み、天文元年(1532年)6月、西垪和三の宮に参篭しての修行により小具足早縄など5つの術を習得、これを「腰之廻」と名づけた。
天正年間に宇喜多直家と戦うが敗れ、逃れて播磨国三木城別所長治に仕えた。これについて、『日本剣豪100選』の綿谷雪は、天正5 - 6年ごろの作州竹山城侍帖に「大原梅ガ枝、竹内中務」との記載があることから、久盛はこのころ新免無二に仕えて大原(現・美作市)に在住しており、三木城で仕えたというのは誤伝であろう、と述べている。
のちに帰郷し、和田村石丸(現在の岡山市北区建部町和田南)に住んだ。晩年は久米郡稲荷山城主・原田三河守の孫、弥右衛門に養われ、文禄4年(1595年)6月6日に没したとされるが〔デジタル版 日本人名大辞典+Plus では同年6月30日死去とする。〕、没年には異説があり、墓所と称するものもいくつかあって正しい墓は判別できていない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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