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竹内智香 : ミニ英和和英辞書
竹内智香[たけうち ともか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [うち]
 【名詞】 1. inside 

竹内智香 : ウィキペディア日本語版
竹内智香[たけうち ともか]

竹内 智香(たけうち ともか、女性、1983年12月21日 - )は、スノーボードアルペン選手。
所属は、小嶋アカデミー→ロイズ広島ホームテレビを経て、現在は広島ガス竹内智香 オフィシャルブログ:広島ガス - livedoor Blog(ブログ) 〕〔五輪スノーボード:竹内、自ら志願し「ひろしま観光大使」 - 毎日新聞 〕〔竹内智香「銀」に絶叫!ため息“第2の故郷”広島も一喜一憂 スポーツ報知 2014年2月19日閲覧〕。身長165cm、体重62kg。
== 来歴 ==
北海道旭川市出身。クラーク記念国際高等学校出身。
小学校の卒業文集に「夢はオリンピック」と記していた〔2006年2月24日毎日新聞 23面より。〕。14歳の時に見た長野オリンピックがきっかけで本格的にスノーボード競技を始める。旭川市立東明中学校から〔スポーツ報知 2014年2月20日 1面より。〕、スノーボード部がある北海道上川高等学校に進学〔スポーツ報知 2014年2月20日 24面より。〕。しかし当時同校で竹内を指導していた小島久幸〔長野オリンピック強化指定選手であった。〕がクラーク記念国際高校に転勤したため、その後を追うように同校に転校〔2002年1月26日 読売新聞 18面より。〕。クラーク記念国際高校在学中の2002年、ソルトレイクシティオリンピックに出場。2003-04シーズンよりワールドカップに参戦。2006年のトリノオリンピックでは9位。トリノオリンピック後の2007年6月に「日本では選考基準が曖昧なので、何を目指していいのかがわからない」と言う理由で〔ヨーロッパで挑戦することを決め、5か国のチームに練習の参加を打診するも全て断られたが、スイスナショナルチームから了承を得て同年8月にチーム入り〔2009年12月1日 日刊スポーツ 9面「メダル候補たちの武器」より。〕。その23歳から28歳まではスイスに活動拠点を移し、スイスナショナルチームと共にトレーニングをしていた。スイスを選んだ理由には「一年中氷河がある所で、いつでも滑れるし、世界トップクラスの滑りと考え方を間近で体感しながら効果的に練習出来る」ことだったからと言う〔。
また、トリノ五輪メダリストのショッホ兄弟とともに「BLACKPEARL」というボードを開発している。ボード開発をして2年目で、その当時として日本人としてアルペン競技で初のW杯総合3位となった。
2010年2月のバンクーバーオリンピックでは13位。日本では支援企業の少ないマイナー競技であり、当時はまだ「スノーボード選手のイメージが悪い」と言う理由から企業10社以上から断られるなどあったため〔〔これには、当時問題とされていた國母和宏の服装によることもあった(スポーツ報知 2014年2月20日 24面より)。國母和宏#バンクーバーオリンピックでの服装問題も参照。〕無所属となったが〔「竹内(銀)広島の活気に」中国新聞 2014年2月21日付朝刊〕、同年、縁のある広島県山県郡北広島町での「ワールドスノーボードフェスティバル」(やわたハイランド191リゾートやわたハイランド191リゾート 〕)を自ら企画奔走〔〔竹内智香 オフィシャルブログ:大きな一歩 - livedoor Blog(ブログ) 雪上の一歩(one step)・アルペンスノーボーダーの挑戦 | 放送 ... - エンタ魂 〕、広島ホームテレビが竹内の支援に名乗り出て、同年9月から同局に契約社員として入社した〔〔竹内智香 オフィシャルブログ:広島ホームテレビ所属 - livedoor Blog 〕。同イベントは、競技を通じて知り合った五輪メダリストを含む約30人の外国人選手らが自費で参加し〔「平和の天使 きらり 竹内・銀 『広島は第二の故郷』」朝日新聞 2014年2月20日付朝刊〕、2011年2月、2012年2月と二回開催された〔〔〔竹内智香 オフィシャルブログ:感謝 - livedoor Blog(ブログ) 竹内智香 オフィシャルブログ:World Snowboard Festival 2012 in Hiroshima - livedoor Blog 竹内智香 オフィシャルブログ:広島観光&WSF IN HIROSHIMA - livedoor Blog(ブログ) 。2011年10月には「企業イメージの向上につながる」と注目した広島ガスと所属契約を結び、同社は竹内のためにスキー部を創部した〔〔 広島ガスCSR報告書〕〔スノボW杯で日本人初、女子大回転で竹内が優勝 読売新聞 2012年12月22日閲覧〕。
2012年12月21日、自身の29歳の誕生日にカレッツァ()で開催された2012 - 2013年シーズンの初戦となるパラレル大回転でFISワールドカップ初優勝を飾った〔。2013-14シーズンは出場したワールドカップ3戦全てで2位に入り、ソチオリンピック直前の世界ランクでは2位にランクインした。
2014年2月のソチオリンピックパラレル大回転では、予選を1位で通過し、決勝トーナメントでも安定した滑りで決勝進出を果たす。決勝は世界ランク1位、スイス時代の元チームメイトであるパトリツィア・クンマーと対戦。1本目はクンマーに0.30秒差をつけ逃げ切ったが、2本目の中盤にわずかにリードを許したところで転倒し惜しくも銀メダルとなった。それでも、スノーボード競技では日本人女性初のオリンピックメダリストとなり、アルペン種目では1956年・コルティナダンペッツォオリンピックのスキー回転で銀メダルを獲得した猪谷千春以来、58年ぶりの快挙となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「竹内智香」の詳細全文を読む




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