|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 竹 : [たけ] 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) ・ 内 : [うち] 【名詞】 1. inside ・ 正 : [ただし, せい, しょう] 【名詞】 1. (logical) true 2. regular ・ 策 : [さく] 1. (n,n-suf) plan 2. policy
竹内 正策(たけうち/たけのうち せいさく、嘉永4年5月5日(1851年6月4日) - 1922年(大正11年)5月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 == 履歴 == 高知城下で生まれ、1871年(明治4年)、御親兵として上京し、1875年(明治8年)陸軍少尉任官。西南戦争に出征。 歩兵少佐であった1892年(明治25年)11月、陸軍省軍務局第2軍事課長に就任。1894年(明治27年)9月、第1軍兵站参謀長に発令され日清戦争に出征。1895年(明治28年)3月18日、歩兵大佐に昇進し軍務局第1軍事課長となる。1896年(明治29年)11月から1898年(明治31年)3月まで東宮武官を務め、同月、歩兵第34連隊長に着任。1900年(明治33年)4月25日、陸軍少将に進級し歩兵第12旅団長となる。1903年(明治36年)4月、台湾守備混成第1旅団長に就任したが、同年7月に休職。 1904年(明治37年)6月、後備歩兵第4旅団長として復帰し日露戦争に出征。第3軍隷下として旅順攻囲戦で武功をあげた。その後、遼東守備軍に編入された。1905年(明治38年)3月、歩兵第25旅団長に転じ、同年10月に休職。1906年(明治39年)1月、待命となり、1907年(明治40年)2月28日、陸軍中将へ昇進と同時に予備役編入となった〔『官報』第7100号、明治40年3月4日。 〕。1909年4月1日に後備役となる〔『官報』第7755号、明治42年5月5日。〕。1914年(大正3年)4月1日に退役し〔『官報』第507号、大正3年4月10日。〕静岡で隠匿生活をする。1922年(大正11年)5月、結核が発病し再起不能にいたり自ら自決して果てた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹内正策」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|