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竹内 洋岳(たけうち ひろたか、1971年1月8日 - )は、日本の登山家で、世界で29人目で日本人初の8000メートル峰全14座の登頂者〔日本人初の快挙、8000m峰14座登頂 竹内洋岳 、日本経済新聞 2012年5月26日〕。身長180cm、体重65kg。東京都出身。立正大学仏教学部卒業。株式会社ICI石井スポーツ所属。立正大学客員教授。『文部科学大臣顕彰、スポーツ功労者顕彰』、第17回「植村直己冒険賞」、『第15回秩父宮記念山岳賞』を受賞。 == 経歴 == 祖父の手ほどきで、幼少より登山とスキーを始め、高校、大学の山岳部で国内の登山の経験を積み、20歳で初めての8000m峰登山を経験した。 1995年に日本山岳会隊に参加して、マカルー(8,463m)東稜下部より登頂し、初めて8000m峰を登頂する。翌1996年には、エベレスト(8,848m)とK2(8611m)に連続登頂し、その後8000m峰を専門に登山活動を展開する。 2001年以降は、ドイツ人登山家のラルフ・ドゥイモビッツや、オーストリア人女性登山家のゲルリンデ・カルテンブルンナー(Gerlinde Kaltenbrunner)を主なパートナーとし、各国の登山家と少人数の国際隊を組み、酸素やシェルパを使用しない軽量装備でスピーディに高峰への登頂を行う速攻登山で複数の8000m峰を登頂している。竹内は、このような登頂方法をHAM(High Altitude Marathon、超高所耐久登山)と呼称している。 2007年にパキスタンのガッシャーブルムII峰(8,035m)で雪崩に巻き込まれ、腰椎破裂骨折の重傷を負う。当初、救助は不可能と思われたが、各国登山隊のレスキューで奇跡的に生還した。帰国後に背骨にチタンシャフトを埋め込む手術を受け、もう登山への復帰は絶望的と言われながらも、リハビリにより、1年後には、事故のあったガッシャーブルムII峰へ再び挑み登頂を果たし、ブロード・ピーク(8,047m)への継続登山にも成功した。 その後も8000m峰全14座制覇を目指し登山を続け、2012年5月26日(日本時間)に最後の1座となっていたダウラギリへの登頂に成功し、全14座の登頂を成し遂げた。これは名塚秀二、山田昇らの9座を上回る日本人最多記録であり、2012年5月現在、日本人唯一の8000m峰全14座登頂者である。8000m峰11座への無酸素登頂も、日本人最多記録である。 2002年に結婚し、二児の父親である。 熊本大学大学院自然科学研究科 准教授の竹内裕希子は実妹である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹内洋岳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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