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竹幕洞祭祀遺跡(ちくまくどうさいしいせき)は、大韓民国(韓国)全羅北道扶安郡辺山面格浦里にある、古代から中世にかけての祭祀遺跡。 == 概要 == 朝鮮半島西南部、扶安郡西端の辺山半島先端部に位置する、三国時代百済・統一新羅時代・高麗時代・李氏朝鮮時代にわたる海岸祭祀の遺跡である。名称の「竹幕洞」は地名。国立全州博物館により発見され〔부안죽막동제사유적(扶安竹幕洞祭祀遺蹟) (韓国学中央研究院「韓国民族文化大百科事典」)。〕、1992年に同博物館により発掘調査がなされている。 発掘調査では、絶壁上の平坦面に露天祭祀の跡が見つかり、そこで航海の安全祈願の祭祀が行われたと考えられている。特に水聖堂(水城堂、全羅北道有形文化財第58号)付近において百済時代の祭場が見つかり、その広さは20×15平方メートル程度と推定される。この祭場からは多くの遺物が出土しているが、その90パーセント以上は土器で、他に金属器・石製模造品・土製模造品・玉製品・陶磁器などが見つかっている。これらを時代別に見ると、まず壺・甕・高坏などの土器のみを用いた馬韓・百済系祭祀が3世紀後半頃に始まり、これが4世紀中頃から5世紀前半にかけて本格的になった。5世紀中頃からは、鏡形・剣形などの多様な倭製(日本製:大部分は畿内系石材)の石製模造品も使用され始めた。そして6世紀前半までの間に百済・倭・加耶系祭祀が最盛期を迎え、この時代の多量の土器(一部に加耶系土器)が出土したほか、中国南朝の青磁器や豪華な馬具が出土している。その後も祭祀は継続するが、出土品は在地からの供献容器を中心とした百済系祭祀のみに変わる。さらに8世紀になると、祭祀建物が建てられ屋内祭祀に移行したと見られる。現在ある水聖堂(水城堂)は、そのような屋内祭祀の名残とも推測されている〔。 以上から、竹幕洞遺跡は中国南朝・百済・加耶・倭間で展開された国際交流を象徴する遺跡とされる。竹幕洞の地が祭場として使用されたのは、海岸にある海蝕洞に対する信仰に加え、航海困難地域であった一帯において当地が船泊りの適地であったことが要因とされる。また、竹幕洞遺跡に似た祭祀遺跡として福岡県宗像市の沖ノ島祭祀遺跡が知られ、両者は古代国際交流の実体を明らかにするものとして注目されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹幕洞祭祀遺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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