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竹日向町(たけひなたまち)は、山梨県甲府市の地名。江戸時代から1875年(明治8年)までは「竹日向村」と称され、明治8年からは1954年(昭和29年)までは能泉村に含まれ、「竹日向」は大字名となる。昭和29年から現在までは甲府市の町名。 == 立地と地理的・歴史的景観 == 竹日向町は甲府市北部に位置する。一帯は御嶽昇仙峡と呼ばれる渓谷で、笛吹川の支流荒川上流の左岸、帯那山西麓に位置する。現在の集落は荒川支流・日向沢沿いに分布する〔新津(2005)、p.87〕。山の傾斜地には段々畑が開かれていたが、現在では耕作地はわずかで地境としての石垣が残され、雑木林や杉・桧(ひのき)の植林地となっている〔新津(2005)、p.87 - 88〕。標高は650メートル付近〔新津(2005)、p.87〕。 『甲斐国志』に拠れば、「竹日向」の地名は「岳の日向」を意味するという。戦国期には甲斐武田氏の家臣日向大和守が北方の固めに任じられ、武田氏の滅亡後にも当地において帰農したとする伝承がある。 近世には成立した九筋二領では山梨郡北山筋に属する〔新津(2005)、p.87〕。領主支配は幕府直轄領、甲府藩領を経て、享保9年(1724年)に甲斐一国の幕領化に伴い再び幕領となる。甲府代官所支配。領域は東西30町、南北20町で、慶長7年の屋敷帳によれば家数11軒、500坪。村高は31石余。周辺には沢が流れているため灌漑用水に不足せず、田畑のほか麻布織りの麻畑もつくられた。一方で水害も多発したという。 1875年(明治8年)には塔岩、高成、川窪の諸村とともに能泉村に併合され、高成には村役場・能泉尋常小学校が所在していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹日向町」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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