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竹本 由紀夫(たけもと ゆきお、1956年8月1日 - )は静岡県出身の元プロ野球選手。右投右打。ヤクルトスワローズに在籍した投手。 == 来歴・人物 == 静岡県立修善寺工業高等学校では、1974年夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、清水市商に逆転負け、甲子園には届かなかった。卒業後は新日鐵室蘭に入社。1979年の都市対抗ではエースとして投げ、高梨英夫(大昭和製紙北海道から補強)が放った当時の通算新記録となる決勝ホームランなどもあり、ベスト8に進出。また第4回インターコンチネンタルカップ日本代表に選出され、日本の準優勝に貢献した。同年にロッテにドラフト1位指名されたが入団を拒否した。 翌1980年、第26回アマチュア野球世界選手権の代表に選ばれキューバ戦などで好投、都市対抗では大昭和製紙北海道の補強選手として出場。初戦では、世界選手権代表の長谷部優を擁する松下電器と対戦。4回からリリーフとして登板し、5-4と逃げ勝つ。準々決勝では東芝府中と戦い、高梨の新記録となる通算8号ホームランを放ち先制すると8回にも高梨が決勝打を打ち浜師勝彦との室蘭リレーで勝ちベスト4に進出した。 この年、石毛宏典(プリンスホテル→西武)、原辰徳(東海大→巨人)とともに御三家として注目を集め、ヤクルトの1位指名選手として入団した。 当初右腕の本格派で、シュート、スライダーを武器とする右の社会人ナンバーワン投手として即先発ローテーション入りを期待されたが、結局1勝も挙げることができず1984年に引退。僅か4年でプロ野球生活の幕を閉じた。 プロで活躍出来なかった理由として、プロ入り後の投球フォーム改造が定着しないまま、一軍の試合に登板させられたことが挙げられている。対巨人戦にリリーフ登板の際、日本テレビで試合の解説をしていた金田正一が、「こんなにバランスの悪いフォームでは、プロでは絶対に通用しない。良いと思うところが何もない」とそのフォームの悪さを指摘している。さらに別の巨人戦での登板時には、「期待の新人だから即戦力として使いたいのかも知れないが、もう一度ファームで鍛え直した方がよいと思う」と語っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹本由紀夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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