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竹束(たけたば)は日本の防具(盾)の一種。竹把とも書く。竹を束ねて縄で縛ったもの。したがって形状は円柱形になる。戦国時代から江戸時代にわたり使用された。 == 概要 == 戦国時代以降、合戦において火縄銃が大量に使用されるようになると、従来の木の板による盾では防ぎきれなくなってきたため考案された。当時の火縄銃は、弾丸が大きいため破壊力は大きかったが、一方で弾丸が丸い形をしており、施条も無かったため、貫通力は弱かった。このため、火縄銃の弾丸は竹束を貫通することができず、材料の調達が容易であったことから全国的に広まった。ただし比較的燃えやすいという欠点もある。 大きさは小型のもので長さ六尺(約180cm)・幅一尺(約30cm)、対大筒用の大型のもので長さ八尺(約240cm)・幅四尺(約120cm)程のものが使用された。またそれらは兵が持って使用する他に、木の盾の前面に並べて立てかけるものや、それに車輪をつけて移動できるようにしたものがあった〔この車輪付き盾を「掻盾牛(かいだてうし)」といい、三角屋根の傾斜木板の前面を竹束で覆い、盾には狭間も備えられた。参考・『歴史人 5 2013 №32』 p.97。この「掻盾牛」の他にも、『軍法極秘伝書』内に描かれる「車竹束(くるま - )」が車輪付き竹束である。〕。この他にも、九鬼水軍が囲船(かこいぶね)に大量の竹束で船壁や屋根を覆って、軍船の防弾を高めるのに利用した〔参考・『歴史人 5 2013 №32』 p.100。こうした竹束を楯として用いた軍船を「竹束船( - ふね)」という(『広辞苑 第六版』 岩波書店)。〕。 防具ではあるが、陣営の守備用というより、攻城用武具として多く使用された。『別所長治記』には、神吉城を織田信忠軍が攻めた際、攻城戦に竹束を用いる戦術を知らなかった中国側の武将である別所長治がまたたく間に攻め寄せられてしまったと記されており、従来の籠城戦しか知らなかった武将相手には効果があったという記述がなされている。 他の使用方法として、攻め入りやすいように、通路状に竹束を配置し、これを「竹束道( - みち)」といった〔参考・『広辞苑 第六版』 岩波書店より一部参考。〕。この使用法の場合、車輪付き大盾と比べ、攻め入るのに大量の竹束が必要となる上に、移動範囲も限定されるため、火攻めに会う危険性がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹束」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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