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里見 義俊(さとみ よしとし、生年不詳 - 嘉応2年(1170年))は、平安時代末期の武将。通称は大新田里見太郎〔同時に新田荘内の竹林郷(高林とも)を領したため、竹林六郎太郎とも呼ばれていた。〕。里見氏(竹林氏)の祖。子に里見義成・田中義清(新田氏系田中氏の祖)ら。 == 生涯 == 事績などは不明だが、里見氏に伝わる家系図に義俊の名が記されている。 新田義重の庶長子。義重の長男だったが〔『姓氏』(樋口清之監修/丹羽基二著)では、三男とする。〕、妾腹のために家督を嫡出の異母弟の義兼に譲って分家した。 久寿元年- 2年(1154年 - 1155年)頃に、上野国碓氷郡(八幡荘)里見郷(現在の群馬県高崎市)付近に碓氷城(上里見城・神山城とも)という山城を築き、居を構えた時に里見氏と称したとする。 父・義重に先立ちこの世を去った。天台宗・里見山光明寺に葬られている〔上野国里見山光明寺にある『光明寺縁起』によると、義俊は建仁4年/元久元年(1204年)に没したと伝わる。〕。異説では、建久4年(1193年)8月に安房国守護となり、安房国平郡(平群郡)を拠点とした安房里見氏の祖となったという〔『姓氏』が引用する『安房志』より。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「里見義俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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