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竹槍三百万本論(たけやりさんびゃくまんぼんろん)とは、日本陸軍軍人である荒木貞夫が行った、竹槍が300万本あれば日本の防衛は可能とする主張のことである。竹槍の本数については資料により異同があり、3万~3000万の範囲でばらつきが見られる。 荒木は「竹槍将軍」とも呼ばれ、竹槍に絡めた発言を頻繁に行っている。中でも1933年10月、当時陸軍大臣を務めていた荒木が外人記者団とのインタビューの際に語ったとされる「竹槍三百万本あれば列強恐るるに足らず」という発言はよく知られている。また遡ること3ヶ月前の7月には、視察に向かう高崎行きの列車車中で「国防財政上どうしても必要の金も出せないというなら、陸軍は竹槍を300万本も作ってくれるならそれでもよいと思っている」〔「金の代りに竹槍三百万本でもよい」『読売新聞』昭和8年(1933年)7月23日東京夕刊、1面より引用。表記は現代式に修正〕と語っている。 荒木の一連の発言に対する解釈はさまざまであるが、戦後においては当時の日本陸軍の非科学性と精神論を象徴する発言として取り上げられることが多い〔「(6)国際関係(戦前) 視野狭い“外交音痴”」『読売新聞』1989年1月14日東京朝刊、15面。〕。一方で、この竹槍発言はデマであり、荒木は実際には科学を重視していた、とする反論もある〔菅原裕『東京裁判の正体』国際倫理調査会。2002年国書刊行会より復刻、258-259ページ。菅原は東京裁判で荒木の弁護を担当した弁護士。他に『日本国憲法失効論』なる著書もある〕。また石橋湛山は1944年、『大陸東洋経済』誌において、荒木の発言は参謀本部員当時に部内で行われた戦術研究の結果を踏まえたもので、全く根拠のないものではなく、また竹槍以外に武器は必要ないとするものでもなかったと主張し〔石橋湛山「東京だより 邀撃戰と竹槍三百萬本論」『大陸東洋經濟』第16号、昭和19年7月15日、東洋経済新報社、20ページ。〕、戦後も同様の主張を展開した〔石橋湛山「時言 私の考える日本防衛論」『週刊東洋経済』第3435号、昭和43年10月5日、東洋経済新報社、24-25ページ。〕。 太平洋戦争後半、戦局が悪化し、本土決戦が叫ばれるようになると、大本営陸軍部は『国民抗戦必携』と題した冊子において「銃、劍はもちろん刀、槍、竹槍から鎌、ナタ、玄能、出刃庖丁、鳶口に至るまでこれを白兵戰鬪兵器として用ひる」〔「國民抗戰必携②」『朝日新聞』昭和二十年六月十一日東京朝刊、2面より引用。〕と述べ、竹槍や刃物による抗戦(=白兵戦)は現実の選択肢となった。しかし1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾し、本土決戦に至る前に終戦を迎えた。実際にはダウンフォール作戦が実行されていた場合、海岸線の防衛が固められていないため、ノルマンディー上陸作戦の逆パターン(上陸部隊の銃撃により日本の国民義勇隊は為す術もなく全滅)になっていた可能性が高い。 ==脚注== 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹槍三百万論」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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