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竹田永翁 : ミニ英和和英辞書
竹田永翁[たけだひさしおきな]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [おきな]
 【名詞】 1. old man 2. venerable

竹田永翁 : ウィキペディア日本語版
竹田永翁[たけだひさしおきな]

竹田 永翁〈栄翁〉(たけだ えいおう、永禄10年(1567年) - 慶長20年(1615年))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将豊臣氏の家臣。幼名は乙若丸、通称は弥十郎、官位として左衛門督と称す。名を高治という。
== 生涯 ==
永禄10年(1567年)、竹田高正の四男として誕生。母は山村修理太夫の娘。
父・高正(幼名龍若丸、通称は重郎(十郎)、官位蔵人左兵衛督従五位下)は信濃国の生まれで、村上義清姉の子という説がある。武田信玄の信濃侵攻により天文年間に今川氏を頼って亡命し、遠江国引佐郡細江気賀の荒地六百余町を開墾し本拠とした。ところが、永禄3年(1560年)桶狭間の戦い今川義元が討死すると、遠江は徳川家康に侵攻されることになり、頑強に抵抗するも永禄12年(1569年)3月27日落城。この戦いで父・高正をはじめ、次男の雅楽介高直や三男の酒造介高道らは討死したため、この時3歳だった永翁は、金子五郎八弟・庄兵衛を連れて信濃木曽にいる兄・竹田稔右衛門西光(高正嫡男)の元に逃れた。永翁は9年間、信濃木曽で過ごした後、兄・西光と共に気賀に帰郷した。
天正12年(1584年)に豊臣秀吉に仕えた。慶長20年(1615年)、大坂の陣に参戦し、嫡男の和吉高友と共に大坂城大広間千畳敷で自害した(一説に佐久間勝之に討たれたとする史料もある)。
なお現在、静岡県浜松市北区細江町気賀の旧家、竹田家の敷地内裏山に、五輪様と呼ばれる首塚がある。その気賀地区を一望できる場所に眠るのは、竹田高正、竹田高直、竹田高道、斉藤為吉、尾藤主膳が葬られている。金原明善の妻玉城(竹田家の血縁者)も供養塔を建てている。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「竹田永翁」の詳細全文を読む




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