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竹田津鎮満 : ミニ英和和英辞書
竹田津鎮満[たけた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

竹田津鎮満 : ウィキペディア日本語版
竹田津鎮満[たけた]

竹田津 鎮満(たけだつ しげみつ、? - 慶長5年(1600年))は戦国時代武将〔『戦国人名事典』(阿部猛西村圭子編)483頁〕。通称は形部少輔、志摩守、一木〔。大友氏家臣〔。国東郡竹田津城城主〔。
== 人物 ==
大蔵氏流日田氏流を称する竹田津氏の出身。
永禄12年(1569年)、鎮満は毛利元就との合戦に吉弘鑑理に従って出陣した〔。天正10年(1582年)に秋月種実高橋元種豊前国へ侵入してくると、大友義統の命令で田原親家(大友親家)に従って佐野城宇佐郡)を陥落させた〔。その後、岐部一達臼杵鎮定とともに義統の側近として抜擢された〔。義統が文禄の役に出陣している間、鎮満は豊後に留まり尊寿院の警護を担当した〔。義統が敵前逃走を理由に改易され、水戸へ流されると鎮満もこれに従った〔。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いで西軍に属した義統に従い豊後に下り、石垣原の戦いで討ち死にを遂げた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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