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竹田 玄洋(たけだ げんよう、1949年3月7日 - )は、任天堂専務 技術フェロー。 == 人物 == 1971年、静岡大学工学部電気工学科卒業後、三洋電機に入社。1972年、任天堂に入社。岩田聡新社長の体制発足と同時に2002年5月31日に代表取締役専務に就任した。長年、任天堂のハードウェア部門トップを務めていたが〔「任天堂、難局攻略へ痛手 岩田社長急逝で司令塔失う 」 日本経済新聞2015/7/14〕、権限委譲などによる後継者育成のため、〔「任天堂 「キャラクターを積極的に活用」 君島新社長一問一答」 日本経済新聞2015年9月15日第15面〕 君島達己新社長就任などの人事に合わせ、2015年9月16日付で総合開発本部長を退任して技術フェローに就任〔「代表取締役の異動および役員の委嘱・管掌・担当変更に関するお知らせ」 任天堂2015.9.14〕。後任のハードウェア部門トップは、塩田興技術開発本部長〔「人事、任天堂」 日本経済新聞2015/9/15 〕。 1975年にアーケードメダルゲーム『EVRレース』を開発。任天堂社内では横井軍平よりも早くゲームデザインに携わったクリエイターで、名実共に任天堂最初のゲームデザイナーとなった人物である〔社長が訊く『PUNCH-OUT!!』 〕。 レーザークレー、アーケードゲーム等を開発したほか、ファミコン、スーパーファミコンの時代には、カセット内に埋め込む特殊チップや、カートリッジに電池によるセーブデータのバックアップシステムを組み込むバッテリーバックアップシステムの開発を担当(これがなかったら『未来神話ジャーヴァス』『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』などは、パスワード式になっていた)。竹田の開発したファミコン用ROMカセット等に使う特殊チップMMC(メモリ・マップ・コントローラ)の導入によって、『ゼルダの伝説』、『メトロイド』、『光神話 パルテナの鏡』等、より複雑かつ精密なゲームをこなす能力が備わった。 NINTENDO64、64DD、ニンテンドーゲームキューブ、Wiiの設計開発責任者を担当しているなど、任天堂のハードウェア製作の中核を担う人物の一人だが、アーケード版の『パンチアウト!!』などソフトウェアの開発も行っていた。NINTENDO64では、宮本茂と共に、3Dスティックも開発。Wiiでは宮本茂らと共に、Wiiリモコン、センサーバーも開発。Wiiチャンネルの「毎日新しい」というコンセプトを提示、Wiiモーションプラスの提案も行った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹田玄洋」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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