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竹田誠志 : ミニ英和和英辞書
竹田誠志[たけだ まさし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [まこと]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [こころざし]
 【名詞】 1. will 2. intention 3. motive 

竹田誠志 : ウィキペディア日本語版
竹田誠志[たけだ まさし]

竹田 誠志(たけだ まさし、1985年8月13日 - )は、日本プロレスラーである。東京都町田市出身。
== 来歴 ==
中学生の頃からデスマッチに強い憧れを持っていた。高校卒業後、専門学校に進学。卒業後、U-FILE CAMPに入門。ZSTDEEPなど総合格闘技イベントに出場。2007年1月20日、STYLE-Eのリングで佐々木恭介相手にプロレスデビューした。
2008年4月、大日本プロレスに初参戦し、10月には憧れの葛西純と6人タッグで激突。この試合はハードコアマッチとして行われ、竹田にとって大日本での念願のデスマッチデビュー戦となった。またアパッチプロレス軍のリングでも葛西とカミソリデスマッチでの対戦をアピール(結果的には実現せず、"黒天使"沼澤邪鬼と画鋲デスマッチで対戦)するなど、デスマッチファイターとしての自分を前面に押し出すようになる。
2009年1月、大日本プロレスの最侠タッグリーグに、木高イサミとのタッグでエントリー。3月26日の後楽園ホール大会のメインイベントでは、当時のBJW認定デスマッチヘビー級王者の宮本裕向から勝利。決勝トーナメントに進出を決める。4月28日、後楽園ホール大会での準決勝は、伊東竜二石川修司組と対戦し惜しくも敗れたが、5月9日の四日市大会で伊東が負傷し5月大会の欠場が決まると、決勝戦には代わって竹田・イサミ組が進出することとなった。
5月28日、最侠タッグリーグ決勝戦は、空位となっていたBJW認定タッグ王座のベルトもかけられ、「最侠デスタワー 巨大蛍光灯タワー4コーナーデスマッチ」で佐々木貴・宮本裕向組と対戦。30分時間切れ引き分け後、延長戦を行う大激闘の末、再び宮本から勝利。最侠タッグリーグ優勝、第26代BJW認定タッグ王者となった。そしてその勢いのまま、デスマッチ王者・宮本への挑戦を表明、宮本も承諾した。
7月12日横浜文化体育館大会、デスマッチ新世代対決となった王座防衛戦の形式は、王者・宮本の提案により、2007年3月14日に自らが当時のBJW認定デスマッチヘビー級王者・佐々木貴に挑戦した際の「廣島大治組プレゼンツ 高所作業につき立体足場建築現場デスマッチ ~one night carnival~」を再現した。両者の想像を上回る大激戦になった壮烈な攻防戦の中、最後は足場最上段からの渾身のムーンサルトプレスを喫して、敗戦しまったが、デスマッチの歴わずが9ヶ月で実力が急成長を遂げて宮本は「素晴らしい挑戦者だった。今度は竹田がデスマッチの形式を決めてくれてもいい」と評価した。
7月27日、関本大介岡林裕二組に敗れ、BJWタッグ王者の座を防衛することなく失った。
2010年3月20日STYLE-E西調布大会、STYLE-E無差別級選手権試合で、王者・大家慶次郎(大家健)を破り、第7代王者となった。
2011年に行われた「一騎当千~DEATH MATCH SURVIVOR~」にBブロックでエントリーし、3勝1敗の勝ち点6で優勝決定戦に進出するも、Aブロックを4戦全勝で勝ちあがった佐々木貴に破れ準優勝に終わった。
2012年2月26日アブドーラ小林が保持するBJWデスマッチヘビー王座に挑戦するが敗戦。その後、以前から患っていた首の頚椎並びに椎間板の損傷により8月24日の大日本後楽園ホール大会を最後に欠場、10月30日の大日本後楽園ホール大会にて大日本のリングへ復帰することを宣言した。12月9日の後楽園ホール大会において塚本拓海との「有刺鉄線ボード&蛍光灯+αデスマッチ」で復帰戦を勝利した。
なお2012年10月26日にSTYLE-Eから母体であるU-FILE CAMPへ移籍したが、U-STYLEや格闘技への参戦も積極的に行う一方、大日本のデスマッチなど、STYLE-E以外でのプロレス活動も継続している。
最近は憧れの存在としている葛西とユニットを組んで共闘しながらも対戦を続けており、2012年プロレスリングFREEDOMSの「UNCHAIN」、2013年に大日本プロレスの「B FAULTLESS JUNKY'S」へ加わっている。なお「B FAULTLESS JUNKY'S」は大日本に参戦しなくなった葛西が事実上離脱しているが、竹田はそのままユニットに残っている。2013年8月の第5回葛西純プロデュース・デスマッチトーナメントでは決勝で葛西を下し優勝した。
2014年2月10日、オートバイで雪道を走行中スリップ事故を起こし膝の内側靭帯を損傷する怪我を負い欠場。6月14日にアメリカで行われたCZWトーナメント・オブ・デスで復帰し、9月23日には葛西とKFCタッグ王座を獲得するが、この直後にパートナーの葛西が当時持っていたKING of FREEDOM WORLD王座を賭けて直接対決することを決定させ、12月25日に王座を獲得し再び葛西越えを果たした。
2015年11月22日、「ZST.49 -旗揚げ13周年記念大会-」で約7年ぶりにZST出場。川和真を相手に1R勝利。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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