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竹腰 正晴(たけのこし まさはる、寛永11年(1634年)- 延宝5年1月19日(1677年2月20日))は、尾張藩の附家老、美濃国今尾藩の第2代当主。 初代当主・竹腰正信の次男。正室は能見松平英親の養女(一柳直興の娘)。子は竹腰友正(長男)。官位は従五位下、山城守。 父・正信が正保2年(1645年)4月30日に死去し、嫡男であった兄の成方が出家し家督を譲られたため、同年5月26日に跡を継いだ。このとき、弟の正辰に6,000石を分与している。 慶安2年(1649年)5月、将軍の徳川家光に初めて拝謁する。承応2年(1653年)1月、従五位下山城守に叙任、4月に家光の年忌で日光山に藩主光友の名代として参詣、寛文2年(1662年)10月に暇を貰って尾張に帰るが、寛文11年4月には再び光友の名代で日光山に登った。〔小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X〕 延宝5年(1677年)1月19日に死去し、跡を5歳の長男の友正が継いだ。墓所は愛知県名古屋市の相応寺。法号は正晴院殿曽誉景諦居士。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「竹腰正晴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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