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笑福亭 晃瓶(しょうふくてい こうへい、1960年3月24日 - )は落語家。松竹芸能所属。 大阪市東住吉区(現・平野区)長吉出身。本名は廣田 勝(ひろた まさる)。血液型B型。京都市在住。未婚。 == 人物 == 笑福亭鶴瓶の二番弟子で、1984年4月21日入門(一番弟子は笑福亭笑瓶)。 蒲生4丁目で生まれ、生まれてすぐ長吉に引っ越す。2人兄弟で、4歳下の弟がいる。長吉南小学校に入学。小学校3年で家族がばらばらになり、寝屋川市萱島に移り寝屋川南小学校に通った。小学校6年から平野に戻り、父と弟と暮らし長吉中学校に通った。 長吉高校卒業後、家具やガスの仕事、劇団員を経て、同じ長吉生まれであった鶴瓶が好きで鶴瓶のような漫談がしたくて、人気者になって女性にもてたくて、鶴瓶に弟子入り。スタジオの外で出待ちし「弟子にして下さい」と言ったら、「ほなまたいっぺん手紙書いといで」と言われて、手紙を書いて、それを師匠が読んで、電話がかかってきて、面接が実施され「ほな早いほうがいいわ」とその週に入門した。入門を請うたのは達瓶のほうが早かったが、親の説得に時間がかかったため、その間に晃瓶と純瓶が入門。結果、年齢順での入門になる。「達瓶が先に入門していたら、落語家晃瓶はなかったと思う」と語っていた。 通いで西宮市で3年間修行し、修行中は主に料理と車の運転を担当。初舞台は十三の鰻屋の2階。元々漫談志向だったが、師匠鶴瓶が2002年頃から落語に力を入れ始めたため、晃瓶含め鶴瓶の弟子全員が落語に熱心に取り組む。スパゲッティ屋(イタリアン)に集まって、「これからはやっぱり落語や。俺がお前らを落語で食えようにしたる。俺がやるからお前らもやれ。稽古はお前ら勝手に自分らでやれ、テープで覚えなさい」と命を受ける。 蒲生、長吉、萱島、長吉(噺家になるまで)、門戸厄神(修行中)、高安、住之江、門真の順に在住し、その後は大阪を離れ、堀川今出川を経て、2014年2月から中京区在住。 現在は笑福亭晃瓶のほっかほかラジオを中村薫と行っている。当初1年半はKBS京都近くのホテルから通っていた(週末は門真に帰っていた)。放送のある月曜から金曜は4時に起きる。 自らの落語会「洛楽寄席」を春に、「洛楽笑会」を秋冬に、京都を中心に催す。「晃瓶のわかやぐ会」を3月と9月に帝塚山無学 で催す。繁昌亭にも助っ人で年数回は出演する。彦八まつりにも毎年参加する。 生きる原動力は女性。女性がいなければ働かない。 趣味はウォーキング、チョロQ収集など。チョロQは300台ほど所有していてケースに入れて大事に保管している。料理好きでパン教室に通ったこともある。高校卒業後は専門学校に通い調理師になるつもりで入学資金もちゃんと用意していた(中学生の時の夢は吉本新喜劇)。小学校4年の時、学級委員をした。中学では、マジッククラブで、バスケットボールもしていた。バスケットはさぼってばかりいたので全然上達しなかった。中学や高校では「シュークリーム」、「みえこ」などと呼ばれていた。社会人になって一時期、職場で卓球をしていた。 175cm。78kg(2014年10月現在)。体重は90kg台の時もあったが、2006年秋の「ほっかほか北海道ツアー」の時には、67,8kg位まで痩せた。股下76cm。靴のサイズ27〜27.5cm。足元と股間は特にきれいにしていて、中村薫が臭いだ時も全然くさくなかった。 2011年5月13日には「ほっかほかラジオ」終了後、1人で新幹線とレンタカーを乗り継ぎ、宮城県石巻市のRQ河北ボランティアセンターまで駆けつけ、落語を2席披露。翌14日にはKBS京都のスタッフと合流し、気仙沼市の小泉中学校、南三陸町の歌津中学校で落語会を開いた。2012年3月には、自ら企画して「東北応援ツアー」を実施した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笑福亭晃瓶」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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