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林家 こん平(はやしや こんぺい、本名:笠井 光男(かさい みつお)、1943年3月12日 - )は、新潟県刈羽郡千谷沢村(後の小国町、現:長岡市)大字千谷沢字千谷沢〔1999年6月13日放送の『笑点』第1669回の「私のふるさと」にて。〕出身、落語協会所属の落語家である。同協会理事などを歴任するが、後述の病気もあり2006年4月に相談役となる。 出囃子は『佐渡おけさ』。血液型はA型。演芸番組『笑点』(日本テレビ)の大喜利メンバーの一人だったが、一時的に休養するという形で降板。しかし、その後は復帰することなく正式に降板(但し、実際には現在も休演扱いで、降板にはされていない)。現在は弟子のたい平が代理出演を経て正式メンバーとして出演している〔。 == 来歴・人物 == 愛称は、「こんちゃん」〔「笑点」の司会の三波伸介や5代目圓楽はこん平をこう呼んだ。〕。本人曰く、出身地は「チャーザー村」だが、正しい読み方は「ちやざわむら(千谷沢村)」。 初代林家三平に師事。当時の初代三平は二ツ目で本来ならば弟子を取れないはずだったが、米を一俵担いで弟子入りにきたこん平の熱意に負けたとされる(ただしこのエピソードは脚色もあり、実際は米一俵もなかったとのこと。本人の著書では母親から三平宅へ郵送されてきたと書かれている)。「こん平」の由来は、弟子入り当初はやせていて顔つきが狐に似ていたからだという理由と、一門できつねうどんを食べていた際の、師匠初代三平の妻でこん平にとっては女将である・海老名香葉子のひらめきによる。二ツ目時代から『笑点』など、テレビ・ラジオに出演。『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』(日本テレビ)では構成作家を務める。 兄弟子の珍平が俳優に転業した後は惣領弟子となり、初代三平が54才の若さで死去した後は一門を統率。この際、落語協会分裂騒動など三平死去の前後に起きた様々な出来事の経緯から三平の弟子たちは「落語界の孤児」とでもいうべき状態となり、結果として元々移籍組で既に真打だった三升家勝二(現:8代目小勝)を除く三平の全弟子がこん平の弟子として直ることになる。かくして、分裂騒動の後遺症が長く尾を引いた落語協会の中で辛酸をなめつつも、林家こぶ平(現:9代目正蔵)、林家しん平といった初代三平の預かり弟子や、林家たい平、林家いっ平(現:2代目三平)ら直弟子など数多くの弟子を育て上げ、初代三平からの系譜を受け継ぐ落語家・芸人たちを事実上の一派としてまとめ上げてきた。実際の性格は笑点や高座で見せる豪胆なものではなく、繊細であったという。故に時としてストレスを紛らわすために、酒量が多くなることがあり、後述の病気の要因の一つになったともいわれている。 また、卓球が得意なことでも知られており、『笑点』で共演する三遊亭小遊三と共に「らくご卓球クラブ」を創設。「世界ベテラン卓球大会」にも出場経験がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「林家こん平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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