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笠間 杲雄(かさま あきお 1885年11月 - 1945年4月1日)は、日本の外交官。戦前日本においては数少ないイスラーム圏に関する専門家の一人であり、また阿波丸事件の犠牲者としても知られている。 == 経歴 == 東京府東京市神田区神田末広町(現在の東京都千代田区外神田三丁目)の出身。1909年、東京帝国大学法科大学卒業後、文官高等試験に合格し、鉄道院に入った。1918年には外務省に移り、参事官兼外務書記官に任官。その後、情報部第2課長、欧州各地の大使館在勤を経験した。特に1928年に開催された第2回国際移民会議日本代表を務め、その後はペルシャ、ポルトガル公使を歴任した後、1938年に外務省を退官した。 1938年発足の国策研究機関「太平洋協会」の常務理事に就任し、太平洋戦争(大東亜戦争)開戦後の1942年には、陸軍省軍属・陸軍司政長官に任じられ、南方占領地の調査事業のうち太平洋協会が分担していた旧英領ボルネオに赴くことになった。1943年1月より、ボルネオ守備軍司令部付調査局長を務め〔ボルネオ歴史事典 か行 ボルネオ歴史事典/望月雅彦編纂〕、1945年3月に陸軍省軍務局付となった。しかし1945年4月1日、当時日本軍の占領下にあったシンガポールから輸送船阿波丸にて日本へ帰国する途中、米潜水艦による魚雷爆撃で同船は沈没、遭難死した(阿波丸事件)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笠間杲雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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