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第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」(独:11. SS-Freiwilligen-Panzergrenadier-Division "Nordland")は、第二次世界大戦中のナチス・ドイツ武装親衛隊の師団。1943年夏に創設され、クロアチアでの訓練と対パルチザン戦を経た後に東部戦線に出陣し、オラニエンバウム戦線、ナルヴァ戦線、クールラント戦線、ポメラニア戦線、ベルリンの戦いに参加した。 「ノルトラント」(独:Nordland、「北国」の意)という名称が示すように、この師団の人員はスカンジナビア半島出身の外国人義勇兵を多く含んでいたが、北欧以外のヨーロッパ各国出身の義勇兵、南欧出身の民族ドイツ人も所属していた。1945年5月の終戦までに少なくともデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、オランダ、ベルギー、フランス、エストニア、ルーマニア、スペイン、スイス、イギリス出身の外国人義勇兵がこの師団で戦うか、一時的に所属していた。 == 設立 == === 師団の前身 === 1941年6月22日、ドイツによるソ連侵攻作戦「バルバロッサ」が開始された後、ドイツは占領下および同盟中のヨーロッパ諸国に対し、共産主義と戦う義勇兵部隊の創設を許可した。これに応じたヨーロッパ諸国の親独的ファシスト政党や右翼政党はそれぞれの国における義勇兵募集運動の中心となり、やがてデンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー(フラマン)各国の義勇兵で4つの国別部隊が創設された。 *デンマーク義勇軍(Freikorps Danmark) *SS義勇部隊ノルヴェーゲン(SS-Freiwilligen-Legion Norwegen) *義勇部隊ニーダーランデ(SS-Freiwilligen-Legion Niederlande) *義勇部隊フランダーン(SS-Freiwilligen-Legion Flandern) これらの義勇部隊に所属したヨーロッパ諸国出身の外国人義勇兵はゲルマン民族と見なされたことから武装親衛隊の管轄下に置かれ、1943年まで休養と再編制を挟みつつ東部戦線で戦った。ちなみに、同時期にベルギー(ワロン)、フランス、クロアチア、そして中立国であるスペインにおいても義勇兵部隊が編制されたが、彼らはゲルマン民族ではないという理由でドイツ国防軍の管轄下に置かれた。 しかし、対ソ戦が始まった頃には義勇兵が殺到したものの、それ以降の募集状況は芳しくなく、結果としてそれぞれの国別部隊の兵力維持は困難なものとなった。そのため、武装親衛隊では親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーと親衛隊本部長ゴットロープ・ベルガー(SS外国人義勇兵募集運動の責任者)が中心となり、それらの国別部隊を統合して1個SS師団を創設し、新設の「ゲルマン装甲軍団」(第ⅢゲルマンSS装甲軍団)の一翼をSS装甲師団「ヴィーキング」と対となって構成する計画が進められた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第11SS義勇装甲擲弾兵師団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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