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第1リヨン公会議 : ミニ英和和英辞書
第1リヨン公会議[だいいちりよんこうかいぎ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [こう]
  1. (n,suf) prince 2. lord 3. duke 4. public 5. daimyo 6. companion 7. subordinate
公会 : [こうかい]
 (n) public meeting
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
会議 : [かいぎ]
  1. (n,vs) meeting 2. conference 3. session 4. assembly 5. council 6. convention 7. congress 

第1リヨン公会議 : ウィキペディア日本語版
第1リヨン公会議[だいいちりよんこうかいぎ]
第1リヨン公会議(だいいちりよんこうかいぎ)は、1245年6月28日から、リヨン(現フランス南東部)の司教座聖堂(カテドラル)で行われたカトリック教会公会議フリードリヒ2世を弾劾すべく、教皇インノケンティウス4世が召集した。
== 経緯 ==
イタリアの支配権をめぐって、教皇と皇帝フリードリヒ2世の間の争いは膠着状態に陥っていた。皇帝が実力行使に出て、軍隊によって教皇を包囲すると、教皇は重囲を脱出してジェノヴァに逃れた。そこからさらに北上して1244年12月にリヨンにいたり、1245年1月に公会議の召集を宣言した。
1245年6月に、アンティオキアコンスタンティノープルのローマカトリック大司教アクイレイアの大司教他、フランス人やスペイン人を中心に司教150名あまり、ほかにもフランス王ルイ9世なども参加して公会議が始められた。公会議では、フリードリヒ2世への弾劾が中心に扱われたが、それ以外にもラテン帝国への支援や、モンゴル人の侵入への対応(この対応策の一つがプラノ・カルピニのモンゴル帝国派遣)、さらなる十字軍(第七回十字軍)の編成などが討議された。最終的に公会議は皇帝フリードリヒ2世に対し、平和の破壊者、異端の疑いという罪状を示し、皇帝位を剥奪した。
教皇による皇帝の罷免という行為は、教皇権の伸張に従って教会が世俗の問題をどこまでコントロールできるのかに挑んだという一面もあるが、これは同時に、教会と教皇権が世俗の権力にコントロールされる危険におちていくことであった。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「第1リヨン公会議」の詳細全文を読む




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