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第21SS武装山岳師団スカンデルベク(21.Waffen-Gebirgs-Division der SS, Skanderbeg)は非ゲルマン系民族のアルバニア人で構成された武装親衛隊の山岳兵部隊。ドイツ人や占領地のゲルマン系民族から編成された部隊の名称 (xx.SS-xx-Divion ) と異なり、師団名は xx.Waffen-xx-Division der SS となっている。また、非ゲルマン系のSS部隊は、襟章にルーン文字の SS のマークの使用が禁止されるなど、同じ武装親衛隊の部隊内でも、ゲルマン民族優先策がとられていたことがうかがえる。 部隊名は、オスマン帝国の侵攻に25年抵抗を続けたアルバニアの国民的英雄ジョルジ・カストリオティ・スカンデルベウに由来する。師団章は黒色の双頭の鷲が赤い背景にかかれている。兵士は全員白いトルコ帽を着用し、のちには髑髏の印が帽子の正面に縫い付けられたものを使用した。 == 師団編制まで == バルカン半島は、世界の火薬庫と呼ばれ、20世紀には第一次世界大戦勃発の原因となり、冷戦終結後もユーゴスラビア紛争が生じたように、民族・宗教間の対立が激しい地域である。 アルバニア人は当時のアルバニア王国だけでなく、ユーゴスラビア王国内のコソヴォ地域にも住んでいた〔この地域をアルバニアの民族主義者たちは元来アルバニアが領有すべき、外国領土という意味を込めて「民族的アルバニア」とか「大アルバニア」と呼んでいた〕。しかし長年にわたりコソヴォ・アルバニア人は、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人等から二級市民として扱われていた。そのため、コソヴォ・アルバニア人はユーゴスラビア王国崩壊により自分たちがユーゴスラビアから分離独立し、アルバニアと合併することを待ち望むようになる。彼らにとって枢軸国のユーゴスラビア侵攻は大きなチャンスに見え、外国軍の侵攻をむしろ歓迎する側に回った。実際にはコソヴォを中心としたアルバニア人地域は、1941年からはイタリアの支配下、1943年のイタリア降伏後はナチス・ドイツによる占領を脱することはなかったが、この師団はアルバニア人地域の独立と統一アルバニア建設の約束と共に1944年3月編制された。 この師団は第二次世界大戦の間、アルバニア人が唯一入隊できた部隊であった。最初の編成時、アルバニアの徴募兵11398人のうち、条件を満たしているのが9275人。そのうち6491人が武装SSに採用され、これらの兵とSS第13山岳師団からの300人のアルバニア人、オーストリア、民族ドイツ人の士官、下士官から成る古参兵が基幹となり師団が形成された。 師団の最終的戦力は8500から9000人で、2個歩兵連隊、砲兵連隊、偵察大隊、山岳工兵大隊、通信大隊、対戦車大隊から構成されていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第21SS武装山岳師団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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