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『第24回NHK紅白歌合戦』は、1973年12月31日にNHKホールで行われた、通算24回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHKで生放送された。 == 概要 == *NHKがNHK放送センターへの局舎移転終了と同時に、関連施設である現NHKホールが完成し、舞台が移された。 *両軍司会は水前寺清子・宮田輝(4年連続)が担当、1971年・第22回以来2年ぶりのコンビとなった。宮田は最後の司会担当となった(翌1974年にNHKを退職、並びに参議院議員へ転身したため)。 *紅組司会の候補には実際選出の水前寺以外に森光子、伊東ゆかり、和田アキ子、由紀さおり、ちあきなおみ、今陽子、前回担当者の佐良直美が挙がり、一時は佐良の続投で内定となった。しかし、宮田の一声で急転直下し水前寺が起用された(後述)〔水前寺は前回も紅組司会の有力候補に挙がっていた。〕。 *この年紫綬褒章を受章した渡辺はま子と藤山一郎が特別出演という形式で、それぞれ紅白初出場曲を披露した(両者いずれも今回は正式な紅白出場回数には含まれていない)。 *水前寺が歌手として出演する際の代理の曲紹介は佐良が行った。 *紅組トリは島倉千代子、白組トリおよび大トリは北島三郎(白組トリは2年連続。初大トリ)が務めた。 *当初、クラウンレコード同士である水前寺・北島のトリ構想があったが、同じレコード会社の歌手同士のトリは前例がなかったため、宮田が水前寺を紅組トリから外す代わりに紅組司会に起用してコロムビア・レコード所属の島倉を紅組トリに据えることを提案しこれが可決された格好となった。一方、水前寺からは「司会をやるならトリもやらせてほしい」との注文があり、水前寺・森進一のトリ構想も挙がったという〔合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』〕。 *本番直前に第1次世界石油危機が起こったが、現NHKホール最初の紅白ということもあり、演出等に関しては当初計画通り実施。緊縮型は翌年の第25回からとなった。 *視聴率は80.6%を記録。80%台達成は今回が最後となっている。 *宮田の通算15回の司会担当、12年連続司会、通算11回の白組司会はいずれも最多記録となっている。 *2年連続で総合司会を務めた山川静夫は先輩の宮田に代わって翌年の第25回は白組司会に起用された。また、今回紅組司会続投を逃した佐良は翌年水前寺に代わって2年ぶりに紅組司会に復帰(翌年、1975年・第26回で紅組司会を兼任しながら出場した佐良の歌手出番の曲紹介は水前寺が行った)。 *後年、『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された(1990年、1993年、1997年)が、1997年はGAROの歌唱シーンがカットされた不完全版であった。これは、メンバーの1人で1986年に死去した日高富明の関係者から、放送の承諾が得られなかったことによる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第24回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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