|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 回 : [かい] 【名詞】 1. counter for occurrences ・ 紅 : [べに, くれない] 【名詞】 1. deep red 2. crimson ・ 紅白 : [こうはく] 【名詞】 1. red and white 2. colours for festive or auspicious occasions (colors) ・ 紅白歌合戦 : [こうはくうたがっせん] (n) annual singing contest held on New Year's Eve ・ 白 : [しろ] 【名詞】 1. white ・ 歌 : [うた] 【名詞】 1. song 2. poetry ・ 歌合 : [うたあわせ] 【名詞】 1. poetry contest ・ 歌合戦 : [うたがっせん] (n) singing matches ・ 合 : [ごう] 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) ・ 合戦 : [かっせん] 【名詞】 1. battle 2. engagement ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight
『第26回NHK紅白歌合戦』は、1975年12月31日にNHKホールで行われた、通算26回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHKで生放送された。 == 概要 == * 両軍司会は2年連続で佐良直美・山川静夫が担当。 * 紅組司会の候補として、この年の『思い出のメロディー』の司会を務めた倍賞千恵子、『連想ゲーム』のレギュラー・檀ふみ、この年上期の連続テレビ小説『水色の時』のヒロイン・大竹しのぶ、翌年の大河ドラマ『風と雲と虹と』に出演の吉永小百合、前回本命とされていた栗原小巻、『歌はともだち』の司会者・ペギー葉山、和田アキ子、都はるみ、梓みちよ、ちあきなおみ、水前寺清子、佐良、「今年こそとの呼び声」のあった由紀さおりが挙がり、最終的に佐良と由紀の争いとなったが、結局は前回の実績を買われて佐良の起用となった〔合田道人『紅白歌合戦の真実』〕〔合田『紅白歌合戦の舞台裏』〕。 * 全編再放送時に過去の紅白でもオープニングが豪華であると話題になった回でもある。 * 前回まで1回だった攻守交替が2度になり、審査方法も会場の9名の特別審査員と専用回線を使った400名のお茶の間審査員の二段方式となった(お茶の間審査員制度は第31回(1980年)まで続く)。 * 桜田淳子は『水色の時』(ヒロイン役の大竹が審査員を担当)の主題歌「白い風よ」を担当していたが、本紅白ではそちら楽曲ではなく「はじめての出来事」(桜田自身この年最大のヒット曲)を歌唱。 * 佐良が歌手として出演する際の代理の曲紹介は水前寺が行った。 * 島倉千代子が自身の吹込み1000曲記念作として発表された「悲しみの宿」で、3年連続6回目の紅組トリ(最後のトリ担当)にして初めて(且つ唯一)の大トリを務めた。今回の島倉を最後に紅組歌手での3年連続トリ担当者は途絶えている。 * 美空ひばり、北島三郎と並ぶ紅白最多トリ回数記録(13回担当)保持者・五木ひろし(5年連続出場達成)が初めてトリを務めた紅白である。この年の自身の大ヒット曲「千曲川」を万感こみ上げる中で熱唱した。なお、当初白組トリは布施明の起用が有力視されていたが、最終的に五木が逆転する形で起用された〔合田『紅白歌合戦の舞台裏』〕。その他、前回担当者の森進一も候補だったとする報道もある〔『週刊平凡』1975年11月20日号、35頁。〕。 * 国際婦人年だったこの年は社会では女性の活躍が目覚しかったが、最終的には紅組は白組に敗北を喫した。今回の紅組の応援団は老婆の格好をしたハナ肇だった。白組の応援団長は前年から大ブームとなっていた「ベルばら(ベルサイユのばら)」に引っ掛けた「デルバラ(出る腹)」・三波伸介だった。加えて本家「ベルばら」ブームの一翼を担った宝塚歌劇団月組も登場した。 * 1989年と1993年に『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された(前者ではニュースによる途中中断あり)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第26回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|