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1982年11月28日に施行された第2回ジャパンカップについて記述する。 * 馬齢は全て旧表記を用いる。 == 出走馬の動静 == 第2回はヨーロッパとオセアニアから新たに招待されることとなり、招待馬の動静が大いに注目された。 フランスからは凱旋門賞で差の無い4着で入線し、前々走のターフクラシックを6馬身1/2で、前走のワシントンDCインターナショナルを6馬身で圧勝しており、既に名牝の呼び声が高いエイプリルランが出走を表明していた。さらに4歳牝馬でヴェルメイユ賞を勝っているオールアロングも出走を表明。 イタリアからはGIII1勝のスカウティングミラー(牡馬6歳)、西ドイツからはGIII1勝のパゲーノ、アイルランドからは重賞勝ちがないものの堅実に重賞で上位入賞をしていたスタネーラ(牝馬5歳)が出走を表明していた。 アメリカ合衆国からは2頭選出となっており、歴代賞金王で68戦31勝GI12勝で前年のアメリカ年度代表馬となっていたジョンヘンリー(騸馬8歳)、34戦16勝GI3勝のナスクラスプリーズ(騸馬6歳)の強豪が出走を表明していた。19戦7勝GI1勝のマジェスティーズプリンスが補欠に廻る状況であった。 カナダからは前年の2着のフロストキング(騸馬5歳)、トラヴァーズステークスでアメリカ3冠の勝ち馬3頭をまとめて負かしたラナウェイグルーム(牡馬4歳)が出走を表明。 イギリスはビーマイネイティブが招待されたが、エイプリルランの出走情報を得て辞退、招待馬が直前まで決定していなかった。 オセアニアもこの年から招待することになり、GI3勝のローズオブキングストン(牝馬5歳)とニュージーランドダービー馬のアイルオブマンが出走を表明していた。 日本馬は前年の大敗のせいで、大レースの勝ち馬が続々と回避宣言する始末であった。 サンエイソロン、ホスピタリテイは登録前に故障が判明し回避、天皇賞後にはメジロティターン、アンバーシャダイも回避を表明。どうやらゲートに辿り着きそうなのは牝馬のスイートネイティブ、地方出身馬のヒカリデユール、カズシゲ、アズマキングくらいとなりそうな状況であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第2回ジャパンカップ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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