|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 第 : [だい] (n,pref) ordinal ・ 次 : [つぎ] 1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana) ・ 戦 : [いくさ] 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight ・ 戦争 : [せんそう] 1. (n,vs) war
第二次マラーター戦争(だいにじマラーターせんそう、英語:Second Anglo-Maratha War, マラーティー語:दुसरे इंग्रज-मराठा युद्ध)は、1803年から1805年にかけてイギリス東インド会社とマラーター同盟の三国グワーリヤルのシンディア家、インドールのホールカル家、ナーグプルのボーンスレー家との一連の戦闘である。 一般的にはイギリスの勝利とされている。だが、実際にはイギリスがホールカル家に講和を持ちかけたこと、戦後にホールカル家およびシンディア家に占領地のほとんどを返還していることから、引き分けに近い状況であった。 ==開戦に至る経緯== ===第四次マイソール戦争の終結と領土拡大への野心=== 1799年5月、イギリスは第四次マイソール戦争において、マイソール王国の首都シュリーランガパトナを落とし、その君主ティプー・スルターンを殺害した。これにより、マイソール王国はイギリスの従属国、つまり藩王国の地位に落とされ、その植民地の一部となった〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.277〕。 次にイギリスが目を付けたのは、デカンおよび南北インドに広大な領土を持つマラーター同盟だった。マラーター同盟はムガル帝国の衰退後、インドでもっとも強大な政治勢力であった〔ガードナー『イギリス東インド会社』、p.195〕。1761年の第三次パーニーパットの戦いの敗戦後、マラーター同盟の結束は崩れたが、依然としてそれは変わりなかった。 とはいえ、マラーター同盟は宰相や諸侯間の間で内紛が多かったのも事実である〔ガードナー『イギリス東インド会社』、p.196〕。イギリスもその争いに目をつけており、第一次マラーター戦争で介入して数年の間争い、最終的には撤退を余儀なくされていた〔チャンドラ『近代インドの歴史』、p.34〕。マラーターはイギリスがインドを植民地化するうえで、打倒せねばならない勢力であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第二次マラーター戦争」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|