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『第36回NHK紅白歌合戦』(だいさんじゅうろっかいエヌエイチケーこうはくうたがっせん)は、1985年(昭和60年)12月31日にNHKホールで行われた、通算36回目のNHK紅白歌合戦。21時から23時45分にNHKで生放送された。 == 概要 == *「フレッシュ紅白」をスローガンに掲げ、原則として同年に発売された新曲(ただし、菅原洋一のみ1976年発売の「歓びの日に」を歌唱)を披露させる構成を採り、安全地帯(「悲しみにさよなら」)、原田知世(「早春物語」)、吉川晃司(「にくまれそうなNEWフェイス」)ら、それまでの紅白のカラーとは一線を画した出場者人選が為された。松原のぶえは苦節7年にして念願の紅白初出場。デビュー作である「おんなの出船」を熱唱した。 *両軍司会は森昌子・鈴木健二(3年連続)が担当。前者は1970年代後半に幾度か紅組司会の有力候補に挙がっていた。 *紅組司会については、当初美空ひばり(この年の『思い出のメロディー』の司会)の起用案があったが、ひばりが辞退したため実現せず。その後、終戦年生まれでNHKドラマ『夢千代日記』主演で第二次黄金期を迎えていた吉永小百合、この年上期の連続テレビ小説『澪つくし』のヒロイン(この年の『思い出のメロディー』でコーナー進行役も担当)・沢口靖子、前回担当者の森光子、終戦年生まれの水前寺清子が候補に挙がり、小林幸子も控えとして残った(これら候補はひばり起用構想を立てた時点で、ひばりが辞退の方針を示した場合の腹案として持っていた)。そんな中、森進一との結婚・引退が噂され各種人気歌手調査で1位を獲得していた昌子の起用を決めたという〔合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』〕。打診を受けた当初昌子は事前に辞退を申し入れたが、番組側が懇請したため結局承諾した。なお、当時昌子は密かに「紅白は今回が最後」と決意していた。 *昌子が「愛傷歌」で紅組トリを務めた(白組トリおよび大トリは進一の「女もよう」)。同一回で組司会とトリを兼任したケースは第21回(1970年)のひばり以来2人目だが、ひばりは組司会・大トリであり、組司会・トリのパターンは今回の昌子が初めてである。その紅組トリでは、紅組の歌手リーダーで紅組司会4回担当の経験がある水前寺〔昌子は第30回(1979年)の水前寺以来となる歌手兼司会となった。また、昌子は水前寺が紅組司会を務めた第24回(1973年)で初出場している。〕の曲紹介に送られ、曲中では鈴木や水前寺などに励まされたが、大粒の涙が流れて止まらず、途中1番目の歌詞が歌えなくなる事態になった。当時昌子と同じホリプロ所属の石川さゆりらが助けて歌う程であったが、その後昌子は2番目の歌詞はなんとか歌い終えた。最後には、当時まだ婚約前の進一に抱き抱えられて話題をさらった。2人は翌1986年10月1日に結婚し、昌子は芸能界を引退。その16年後の第52回(2001年)、昌子は16年ぶりに紅白へ復帰している(なお、その4年後の2005年4月に2人は離婚に至った〔2006年に昌子は芸能活動を本格的に再開し、同年の第57回に出場を果たした(進一との同時出場となった)。〕)。 *白組トップバッターだった吉川晃司は真っ赤な衣装で登場し、「にくまれそうなNEWフェイス」の歌が始まるや否や、ステージ上にシャンパンを撒き散らす行為を行い、ギターを燃やすなどのパフォーマンスを披露した。ただし番組の進行上、ギターを破壊するシーンが放映されることはなかった。吉川が歌唱を終えたステージ上にはシャンパンの水しぶきが残っており、シブがき隊の「スシ食いねェ!」歌唱中、布川敏和が足を滑らせて2回も転倒した。この転倒については吉川のせいではなく、事前に予定していたパフォーマンスであったと布川は話している。 *その吉川の後は河合奈保子の「デビュー」だったが、まだ吉川がステージ上に残っていたため、既に「デビュー」のイントロが先に流れていたが、その煽りを食らった河合が同曲の出だしが歌えなくなってしまうというハプニングが発生。吉川サイドが後に、謝罪に河合のもとを尋ねた際に「もう過ぎてしまったこと」と、あっさり許したと言うエピソードがある。 *西城秀樹、新沼謙治らが落選、代わりにアイドル歌手の比重が例年になく高くなった。また、鈴木は番組途中の衣装替えでC-C-Bの曲紹介の際にそのファッションを真似たコスチュームで登場している。 *第32回(1981年)から設けられていた歌手リーダー制は今回で一旦撤廃された。 *第34回(1983年)から設けられていた「金杯・銀杯」も今回限りで廃止された(金杯=昌子、銀杯=細川たかし。昌子の金杯受賞により優勝旗は水前寺が持った)。今回の「金杯・銀杯」のデザインも福田繁雄が担当し、前回同様見る向きを変えると音符に見えたり、ト音記号に見えたりするユニークなものであった。 *この年春に神田正輝と入籍し、芸能活動を休止していた松田聖子が本紅白のステージで一時的に復活を果たした(その後聖子は神田沙也加の出産のため再び休業、それから公に姿を見せたのは丁度1年経った翌1986年大晦日の、TBS系列『第28回日本レコード大賞』と『第37回NHK紅白歌合戦』である)。聖子から安全地帯、原田知世、沢田研二と続く4組はステージ中央に作られたシャトーのようなセットをバックに紅組勢は華麗なドレスを身にまとっての歌唱・白組勢は夜をイメージした幻想的な演出でバンド演奏を披露し、トップバッターの聖子はオープンカーに乗って現れ華麗なパフォーマンスで魅せた。また、この4組の歌につき、一つの連続した物語を構成するというコンセプトで演出が行われたため(セットの様子も玄関前〈聖子〉-屋内〈安全地帯・原田〉-バルコニー前〈沢田〉と切り替わっていった)、司会者による歌手・曲紹介なしで4組続けて歌を披露していった(前半の中森明菜→田原俊彦→小柳ルミ子→郷ひろみについても同様の演出が取られた)。一説では、前回鈴木が番組終盤で紅白のステージを歌手引退の花道にしていた都はるみに向かって「私に一分間時間を下さい!」という台詞に代表される、異例のアンコール要請を行ったことにつき、その後、「司会者としての権限を逸脱している」などといった批判の声が視聴者や複数の歌手側からも上がったことなどが理由とされる。 *この年の阪神タイガース日本一を祝し、当時阪神監督の吉田義男が審査員に選出され、さらにハーフタイムショーで出場歌手によって「六甲おろし」が歌唱された。一方で同曲の歌唱後、昌子と鈴木は揃って自身が読売ジャイアンツファンであることを打ち明ける一幕があった。 *同じくハーフタイムショーで『澪つくし』が取り上げられ、同作の脚本家で審査員を務めたジェームス三木の協力のもと本紅白のために同作最終回後の解決編として、「めでたづくしの澪つくし」とのコーナーが制作された。まずは桜田淳子が昌子へ花束を渡しに登場。続いて津川雅彦、加賀まりこ、草笛光子も本編での衣装で登場し、「あの後(最終話の後)、一体どうなったのか?」という会場担当アナウンサーの問いに、三木が「罪滅ぼしに今日は『澪つくし』の解決編をご覧に入れます」とコメント。本編同様にオープニングテーマと葛西聖司(当時NHKアナウンサー)によるナレーションが流れる中、白無垢姿の沢口、紋付袴姿の川野太郎が登場しての寸劇の後、出場歌手による「銚子大漁節」の歌や踊りが披露された〔NHKウイークリーTVステラ臨時増刊1月16日号「紅白50回 栄光と感動の全記録」(2000年刊、72~73ページ)より〕。なお紅白内企画として、朝ドラの特別編を放送するのは今回が初めて。 *出場歌手発表前には『週刊平凡』(1985年8月9・16日合併号、28頁)が「紅組トリ(大トリ)はひばりと聖子(この年デビュー5周年)の争いになるのでは?」と報じていた。 *前回に続いて紅組が優勝。なお、紅組が連続優勝しているのはこれを最後に途絶えている。 *今回以降、大半70%を超えていた視聴率は急速に低下することになった。今回の平均視聴率は、66.0%〔関東地区・ビデオリサーチ社調べ〕で、前回よりも12.1%も低下してしまった。今回を最後に関東地区での平均視聴率60%台超は達成されていない。 *鈴木は今回を最後に白組司会から退いた。奇しくも翌年の大晦日は自身の母親の葬儀の日となった〔『紅白50回』、87頁。〕。なお翌年の第37回では、今回総合司会を務めた千田正穂が先輩の鈴木に替わって白組司会に起用されたほか、同じく今回テレビ中継を務めた吉川精一が後輩の千田に替わって総合司会に起用された。 *今回まで初出場から23年連続出場をした北島三郎は翌年の第37回は出場が決まりながら黒い交際の発覚で降板することになり、今回で一旦連続出場が途絶えた。なお、北島は2年後の第38回(1987年)で再出場を果たし、以後第64回(2013年)まで27年連続出場した。 *1990年・1995年・2003年に『思い出の紅白歌合戦』(BS2)で再放送された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第36回NHK紅白歌合戦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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