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第38SS擲弾兵師団 : ミニ英和和英辞書
第38SS擲弾兵師団[だい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [だい]
 (n,pref) ordinal
擲弾 : [てきだん]
 (n) grenade
: [たま]
 【名詞】 1. bullet 2. shot 3. shell 
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy
: [し]
 【名詞】 1. (1) teacher 2. master 3. one's mentor 4. (2) the Reverend
師団 : [しだん]
 【名詞】 1. (army) division 
: [だん]
 【名詞】 1. body 2. group 3. party 4. company 5. troupe

第38SS擲弾兵師団 : ウィキペディア日本語版
第38SS擲弾兵師団[だい]

SS第38擲弾兵師団 ニーベルンゲン(SSだい38てきだんへいしだん―、独:''38. SS-Grenadier-Division „Nibelungen“'')は、武装親衛隊の38ある師団の1部隊である。部隊名のニーベルンゲンは、北欧神話におけるドワーフの英雄の血統を表している。師団シンボルもその神話にちなんで羽飾りのついたドワーフの兜となっている。ただし、この部隊シンボルは戦後の創作物であるという説も存在する。
この部隊は第二次世界大戦の終戦数週間前に急遽、士官候補生学校から編成された部隊である。
==編成==
師団は、1945年3月27日に、バート・テルツのSS士官学校(SS-Junkerschulen)の職員と生徒により編成された。部隊は最初、士官学校の名前である、SS士官学校バート・テルツ(SS-Junkerschule Bad Tölz) と名づけられる予定であったが、SS士官学校師団(''SS-Division Junkerschule'')となり、最終的には、士官学校の指揮官であるリヒャルト・シュルツ・コッセンスにより第38SS擲弾兵師団ニーベルンゲン(''38. SS-Grenadier-Division „Nibelungen“'')と変更された。
師団の名前を冠していたが、部隊は旅団規模(約6000人)しかなかった。師団は、ライン川上流の黒い森地方のフライブルク近傍で編成された。
部隊は士官学校の人間から編成されたにもかかわらず、他の部隊の崩壊により、追加戦力を受け取った。これは、以下の部隊を含んでいた。SS「特別任務」SS長官護衛大隊(SS “special use” Begleit-Battaillon Reichführer-SS、1945年4月9日受領)、2つの国境警備大隊 (Zollgrenzschutz-Bataillon)、ノルト師団から兵士、プリンツオイゲン師団から(ドイツ民族で構成された)中隊、第30SS武装擲弾兵師団 (ロシア第2)から指揮官 (SS警察大隊Sieglingとまとめて)、ヒトラーユーゲントメンバーにより構成されたいくつかの大隊。
最初の指揮官は、バート・テルツの士官学校とSS旅団ニーベルンゲンの司令部の士官であるリヒャルト・シュルツェ・コッセンスであった。4月12日には、マルティン・シュタンゲ(Martin Stange)に引き継がれた。(ハインツ・ラマーディングカール・リッター・フォン・オーベルカンプは指揮官に指定されたがそのポストに付かなかった)。師団は2つの擲弾兵連隊(SS中佐マルクス・フォウルハーバー:en:Markus Faulhaber指揮の第95SS擲弾兵連隊と、SS中佐ヴァルター・シュミット:en:Walter Schmidt (SS officer)指揮下の第96SS擲弾兵連隊)を持っており、両者はSS旅団ニーベルンゲンから移管されたものである。第97SS擲弾兵連隊の形成も試みられたが、最終的に2個大隊の戦力にとどまった。師団の第38装甲猟兵大隊は、人員をプリンツオイゲン師団より、指揮官をノルト師団から提供を受けた。この大隊は4月15日に75mm砲(Pak39)を装備するヘッツァー(Jagdpanzer 38(t))を約10輌受け取った。(大隊は、この師団が到着するまでの4月17日から24日までの間、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン師団の配下にあった。)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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