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SS第38擲弾兵師団 ニーベルンゲン(SSだい38てきだんへいしだん―、独:''38. SS-Grenadier-Division „Nibelungen“'')は、武装親衛隊の38ある師団の1部隊である。部隊名のニーベルンゲンは、北欧神話におけるドワーフの英雄の血統を表している。師団シンボルもその神話にちなんで羽飾りのついたドワーフの兜となっている。ただし、この部隊シンボルは戦後の創作物であるという説も存在する。 この部隊は第二次世界大戦の終戦数週間前に急遽、士官候補生学校から編成された部隊である。 ==編成== 師団は、1945年3月27日に、バート・テルツのSS士官学校(SS-Junkerschulen)の職員と生徒により編成された。部隊は最初、士官学校の名前である、SS士官学校バート・テルツ(SS-Junkerschule Bad Tölz) と名づけられる予定であったが、SS士官学校師団(''SS-Division Junkerschule'')となり、最終的には、士官学校の指揮官であるリヒャルト・シュルツ・コッセンスにより第38SS擲弾兵師団ニーベルンゲン(''38. SS-Grenadier-Division „Nibelungen“'')と変更された。 師団の名前を冠していたが、部隊は旅団規模(約6000人)しかなかった。師団は、ライン川上流の黒い森地方のフライブルク近傍で編成された。 部隊は士官学校の人間から編成されたにもかかわらず、他の部隊の崩壊により、追加戦力を受け取った。これは、以下の部隊を含んでいた。SS「特別任務」SS長官護衛大隊(SS “special use” Begleit-Battaillon Reichführer-SS、1945年4月9日受領)、2つの国境警備大隊 (Zollgrenzschutz-Bataillon)、ノルト師団から兵士、プリンツオイゲン師団から(ドイツ民族で構成された)中隊、第30SS武装擲弾兵師団 (ロシア第2)から指揮官 (SS警察大隊Sieglingとまとめて)、ヒトラーユーゲントメンバーにより構成されたいくつかの大隊。 最初の指揮官は、バート・テルツの士官学校とSS旅団ニーベルンゲンの司令部の士官であるリヒャルト・シュルツェ・コッセンスであった。4月12日には、マルティン・シュタンゲ(Martin Stange)に引き継がれた。(ハインツ・ラマーディングとカール・リッター・フォン・オーベルカンプは指揮官に指定されたがそのポストに付かなかった)。師団は2つの擲弾兵連隊(SS中佐マルクス・フォウルハーバー:en:Markus Faulhaber指揮の第95SS擲弾兵連隊と、SS中佐ヴァルター・シュミット:en:Walter Schmidt (SS officer)指揮下の第96SS擲弾兵連隊)を持っており、両者はSS旅団ニーベルンゲンから移管されたものである。第97SS擲弾兵連隊の形成も試みられたが、最終的に2個大隊の戦力にとどまった。師団の第38装甲猟兵大隊は、人員をプリンツオイゲン師団より、指揮官をノルト師団から提供を受けた。この大隊は4月15日に75mm砲(Pak39)を装備するヘッツァー(Jagdpanzer 38(t))を約10輌受け取った。(大隊は、この師団が到着するまでの4月17日から24日までの間、ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン師団の配下にあった。) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「第38SS擲弾兵師団」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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